小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

自分でやった方が早い病を治すために

 最近、「チーム学校」ということをよく耳にするようになりました。平成27年12月21日中央審議会の「チームとしての学校の在り方と 今後の改善方策について(答申)」が出されたことが大きく影響している。

 答申では「これからの学校が教育課程の改善等を実現し、複雑化・多様化した課題を解決していくためには、学校の組織としての在り方や、学校の組織文化に基づく業務の在り方などを見直し、『チームとしての学校』を作り上げていくことが大切である。」と述べられている。

 僕はこの答申の方向性におおむね賛成している。個人の力でできることには限りがある。だから、教師がチームとして教育活動を行っていく。そうすると、一人では成し遂げられなかったことを成し遂げることができるのではないか、と期待している。

 だけど、学校現場はなかなかチームになれない。もっと言うと、教師はチームになれない。そんな思いや考え等を論考としてまとめたものもあるので、よければご覧ください。

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  特に小学校は、チームになれてないように感じている。なぜなら、小学校の教員は、個人の力が試される世界だから。どんな仕事も学級担任一人でこなし、オリジナリティのある実践を開発するようなスペシャリストも数多くいます。そんな業界に身を置いていたこともあって、僕も小学校教員になってすぐの頃は自分のスキルをどう伸ばして、「いかに個人の成果をあげるか」ばかりを考えていました。

 だけど、上記したようにそれでは善くないのではないだろうか、と考えるようになった。また、一人だけの力では限界を感じることも増えました。

 小学校の教員がチームになるためには、まず一人でこなしている仕事量や一人でできると思っているマインドをほぐしていく必要がある、と感じている。

 このような課題意識を持っている時に出会ったのが、今回紹介する「自分でやった方が早い病」という本。題名を見た時に、「これは読まないといけない」と感じたほどだ。

 少しになるが気になった箇所を引用してみる。

自分でやった方が早い病を克服する、ということは、「自分の力だけで自分だけが成功する」のではなく「みんなの力でみんなで幸せになる」ということなのです。

多くの人が「任せる」の意味を勘違いしています。だからこそ、人に「任せる」ことができずに「自分でやった方が早い病」にかかってしまうのです。

①「任せる」は失敗が前提

②「任せる」は、「丸投げ」ではない

③他人に任せても楽にはならない

  「自分の力だけで自分だけが成功する」のではなく「みんなの力でみんなで幸せになる」というのは、「チーム学校」を考えていく上では大切な視点なのではないだろうか。

 もちろん、これからも教師一人ひとりの力量を上げていくということは大切になる。でも、一人だけの力で得られる成功だけでは不充分だろう。それだけでなく、みんなでささやかな成功を手にし幸せになる、ということを考えないといけないだろう。

 そうは言いながらも、なかなか「自分でやった方が早い病」を治すのには時間がかかるだろう。まずは、「自分でやった方が早い病」にかかっていることを自覚したい。自覚症状がなければ治すこともできないから。

 この本を読んで、まずは自覚しましょう。気づきがあると、きっと変わることができるだろう。そして、みんなでささやかな幸せをつかみましょう。

自分でやった方が早い病 (星海社新書)

自分でやった方が早い病 (星海社新書)

  • 作者:小倉 広
  • 発売日: 2012/05/25
  • メディア: 新書
 

ポスト・コロナの学校現場⑫「オンライン授業をやってみた」

 オンライン授業をやってみた、と言いながら、別に僕が指導者ではない。僕は受講する側であった。夏季研修等、オンラインですることにもなってきている。その一環でオンライン授業をやってみることとなった。厳密に言うと、オンライン講義・研修かな?

 また、オンライン授業と言いながらも双方向のやり取りができるわけではない。いわゆる「オンデマンド型」のオンライン授業。配信されているものを、いつでも視聴することができるという形。

 せっかくなので、やってみた感想というか気づきのようなものを書き留めておく。

①いつでも、どこでもできる

 本当にいつでも視聴することができる。さすがに、どこでもというわけにはいかず学校で視聴した(仕組み的にはどこでも可能)。これはやっぱり便利だな、と感じた。

②自分のペースで進められる

 講義を聞いていて、気になるところはメモを取る。そうしていると、次の話を聞き逃すこともある。オンライン授業だと、それがなくなる。止めることも可能だから。

③主体的に取り組むことができる

 一人で視聴することができるので、周りを気にすることはない。だから、主体的に取り組むことができる。僕の場合は独り言をガンガン言いながら視聴した(笑)。「なるほど」「本当にそうかな?」等々。普段だと心の中で言っていることを出せるというのは楽しかった(笑)。

④個々に預けられる

 一人で視聴できるということは、周りに同じことをしている者がいないということだ。そうすると、③でも述べたようにプレッシャーが感じにくい。そうなると、個々人の取り組み具合は、その者が決められるし、決めないといけない。主体的になれもするし、流すことだってできる。まあ、学びというものは本来こういうことのように思うが。

 以上が感想というか気づきを書いてみた。もちろん、メリット・デメリットどちらもある。ここまで考えてみると、自分が指導者になると、どうするのかということも考えてみたい、と思う。

 差し迫らないと考えないとは思うけど…。でも、いずれそういう日が来るのかな~。

 

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怖いのは母親

今週のお題「怖い話」

 

 お題で求めているような、暑さを吹っ飛ばすような「怖い話」ではないので、あしからず。

 母親って怖くないですか? それは大人になった今でも感じています。大人になったので、面と向かって苦言を呈されることは減った。でも、怖い存在ではある。

 父親を怖い、と思ったことはほとんどない。まあ、母親が怖くて、父親も怖いでは逃げ場が無くなってしまうから、ありがたかったのだけど。

 でも、父親に申し訳ないな、と思っていたことがある。母親は、僕を叱る。叱っている内に、いやその前からイライラしてくるのだろう。それなりに、それを僕に吐き出す。だけど、それではだいたい収まらない。そこで、次に矛先が向く相手は父親。そして、だいたいが、僕への時よりも、数倍になり父親に向かっていく。

 本当に申し訳なかったし、今では不憫だな、とさえ思っている。でも、それでそれなりに家庭が円満というか、上手く回っていたのでよかったのだろう(笑)。

 どうして、母親は怖いのだろうか? ちょっと考えてみる。

 たぶん、僕(子ども)のことが心配だったのだろう。それは僕が頼りないというのもあったと思うけど。でも、すごくしっかりしている、と思われていたとしても心配されているだろう。心配しているからこそ、思いが強くなるのだろう。そして、怖い存在にもなるのではないだろうか。決して父親が心配せず、僕に心を向けてくれていないというわけではないけど、母親と比べるとそこまでではなかったのだろう。それだけ、母親の心配度合いというか思い入れが強いのだろう。

 大人になった僕としてはこのように考えている。まあ、ありがたいことだよな、と大人になった僕としては思っている。

言葉が言動に影響を与える?

 最近、気になることがあった。それは、「U-Tchallenge先生もしめてやってください」「ちょっとしめていかないといけないと思っています」という言葉を聞いたこと。僕はどちらにも、微笑しながら返事にもならないような声を出すだけでした。

 この言葉の意味というものは何となく理解できているつもり。子どもたちを厳しく指導する、子どもたちの様子をよく見ておくという意味合いだろう。それはわかっている。
 わからないのは、どうしてこのような言い回しで表現するのか、ということ。厳しく指導する、子どもたちの様子をよく見るというのなら、このように表現すればいいのではないだろうか。いちいち「しめる」なんて言葉を使わなくたっていい。
 いや、そこまで考えて言葉を発しているわけではないのかもしれない。何となくこの言葉を使う方が伝わりやすい、と思ったのかもしれない。もしかすると、砕けた表現をしやすい相手だったのかもしれない。まあ、これらはあくまでも推測なのだけども。
 それなら別にいいのだけど、このような言葉を使っていると、普段の言動にこのような言葉を使う時に抱いている思いが漏れ出てしまわないだろうか。もちろん、子どもたちや保護者の前で、あからさまな言葉は使わないだろうけど。
 いや、でも使わなくとも漏れ出てしまうものがあり、それが伝わってしまう気がする。大人はそんなこと気にならないかもしれないが、子どもたちは敏感である。だから、教師が自分のことや自分たちのことを、どう思っているのかを敏感にキャッチする。それがよい方向に向かえばいいのだが、例に出した言葉からはよい方向に向かいそうにない。だから、僕は気になったのだ。
 人の振り見て我が振り直せ、という言葉があるように、自分の言動を見直してみたい。もちろん、同僚の言動もフィードバックできるところはしていきたい。

温かいもの

  新潮文庫の100冊として紹介されていたので手にした。

 副題に「教室で出会った」とある。教科書に掲載されている作品や教室で過ごしている年代が主人公の作品で構成されている。

 だから、全体を通して根底にあるのは「温かいもの」であるように感じた。その「温かいもの」は、物事を全て解決してくれるものではない。問題は問題のまま残っているけども、その「温かいもの」があるから前を向けるというようなもの。

 また、その「温かいもの」は誰にでも一つや二つは持ち合わせている。ただそれが色あせてしまい、それを忘れてしまうことはあるのだけど。これを一般的には「思い出」と呼ぶのかもしれない。

 そんな「温かいもの」を一つでも二つでも子どもたちに届けたい。読みながら、こんな思いを強く抱いた。

 誰にでもある「温かいもの」について思い出させてくれる作品となっている。だから、どんな人にでもおすすめできる作品でもある。あなたの「温かいもの」もきっと思い出させてくれるはずですよ。

カレーライス 教室で出会った重松清 (新潮文庫)

カレーライス 教室で出会った重松清 (新潮文庫)

  • 作者:重松 清
  • 発売日: 2020/06/24
  • メディア: 文庫
 

 

ポスト・コロナの学校現場⑪「リフレッシュのない日々」

 ようやく長い一学期が終わり、全国的にも夏休み入っているのではないでしょうか。三月初めの休校期間から考えると、本当に長い時間でした。

 さて、夏休みだ、と感じているところではありますが、すぐに二学期が始まります。きっと多くの自治体では夏休み期間を減らし、学習時間の確保するようにしているのではないでしょうか。僕の自治体もそうです…。

 まあ、仕方のないことなのかもしれない、と自分を納得はさせています。でも、やっぱりもう少し休みがほしいのが正直なところです…。

 大人である教師がそうであるなら、子どもたちだってきっとこのような思いを抱いているだろう。子どもたちにとっては羽を伸ばせる夏休み。それができない夏休みになってしまっている。

 リフレッシュのない日々を過ごし、二学期に突入することとなる。だから、二学期が始まったとしても、ボチボチ行きたいものだ。無理して今までのものを取り戻そうなんてしたくない。

 お互いにリフレッシュのない日々を、それなりに過ごすことができている、ということは意識しておきたい。こういうことを意識しているかどうかで、教育活動の機能度が変わってくるのではないか、とさえ感じている。

 

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夏うたBEST5

今週のお題「夏うた」

 

①ゆず「夏色」

 夏はノリのよい季節のイメージ。それにぴったりの一曲。ゆずが好きというのも大きいが、夏の曲で初めに思いついた。みんなで盛り上がることのできる一曲。
 
②TUBE「あー夏休み」
 これは夏の定番の一曲だろう。夏休みに入り、夏本番ということが伝わってくる。そして、その夏を満喫してやろう、という気持ちもビンビンに伝わってくる。今年は夏休みが縮小傾向でさみしい限りだ…。
 
 新しい夏の定番の一曲になっているのではないだろうか。PVでタオルを頭の上で回しながらノリノリで歌っている。それを真似して、カラオケで盛り上がりやすい。夏らしく開放的な気持ちになるにはぴったりである。
 
RIP SLYME「楽園ベイビー」
 確か昔夏によく聴いていた一曲。女性より男性の方が共感できるというか、「わかるな」と思いながら聴くことのできる一曲だと思っている。
 
 この曲は先程紹介した「楽園ベイビー」と似たような時期によく聴いていたように記憶している。これも、男性だと共感できる一曲だろう。夏と言えば「ORANGE RANGE」ということが過言ではないぐらい、流行っていましたよね。
 
 今年はなかなか外に出て、夏を満喫することができない。だから、夏うたでも聴いて、せめても夏気分を味わいたい。

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植物を愛でる

 教育者として成長するために、修養として「植物を育てるとよい」と聞いたことはありませんか。何かの本か論文かで、目にしたことがあるように記憶している。でも、植物を育てるなんて…、と思い、植物を育てることもなく時間を過ごしていた。

 ひょんなことから、植物を育てるということとなった。植物を育てている間に、前述した言葉を思い出したのだ。

 植物は自ら何かを発してくるようには見えにくい。しかし、水をやる。肥料をまく、愛でる等していると何かしら応えてくれる。これらを怠ると、すぐに枯れてしまう。

 つまり、こちらは関心を向け、何かしらの働きかけをする。その見返りというわけではないが、花が咲く、実がなる等、何かしら得るものがある。

 このようなことが、教育という営みに通ずるものがあるのだろう。だから、「植物を育てるとよい」ということなのだ。

 このようなことを確認できた。植物を育てるということは、確かに教師にとって意義のあることだ。

 ということで、今日も植物を愛でることにしよう。

未来のチームを考える

 新型コロナウイルスの影響で、リモートワークやオンラインでのやり取りが盛んになっている。そんな状況になる前から、リモートワークやオンラインでのやり取りについて取り入れているのが「サイボウズ株式会社」。その中の「サイボウズ式」の編集長が著者の一冊。

 サイボウズは、かなり自由度の高い働き方を採用している。その中で、どのようにチームを作っていくのか、どのように働くのかの考えや方法論を提示してくれている。その根底にあるのは「自立」ということ。

 ここからはそれがわかる記述を引用してみる。

サイボウズ式を運営してきて思うことがあります。それはチームを考えるうえで、「そもそもあなた自身は、どんな働き方や生き方をしたいの?」と、問われる場面が多くなってきたということです。今の時代は誰にも当てはまる働き方や生き方という、たったひとつの答えはなくなりました。会社でガマンして働けば道が開けるわけではありませんし、簡単にハシゴを外されることもあります。会社に依存せず、各人が本当に手に入れたい働き方や生き方を自分で決めること、すなわち「個人の自立」が求められているのです。

これまでの昭和的な働き方は、会社への滅私奉公によって成立していました。ありていに言うと、会社に人生を捧げることで、会社が従業員の人生を保証してくれるものでした。それを担保していたのが、年功序列や終身雇用といった仕組みです。ですが、昭和的な働き方はもはや現実的ではないことを、誰もが肌感覚としてわかっています。変化が激しい現代において、ひとつの会社が自分の人生を保証してくれると考えること自体、現実的ではありません。そういった意味では、会社に寄りかかる人生は非常にリスキーで、個々人の「自立」が求められる時代になっています。

 僕を含む教師は「自立」しているとは言い難い。教師一人ひとりに裁量があり、仕事を進めている。一見すると自立しているように見える。でも、僕はそうではない、と思う。

 働き方がいまだに滅私奉公のようなところが多くあるし、「周りの教師がやっているから」という理由で行っていることも多いからだ。もちろん、これは僕の主観なのだけど。

 だから、思考停止に陥ることなく、よりよく働く、よりよいチームということを教師一人ひとりが考えないといけないのではないだろうか。そして、それを持ち寄って考える時間を作らないといけないのではないだろうか。こんなことを読みながら考えた。

 チームについて考えたい人にとっては読んで損なしの一冊である。是非手に取ってみてください。

ポスト・コロナの学校現場⑩「ふれ合いを保障する」

 ポスト・コロナの学校現場にいる時間も慣れてきつつある。所謂「新しい生活様式」というものに慣れ始めている。でも、違和感というかモヤモヤするというか、言語化しにくいものを抱えながらいた。それが何となく自分の中で理解できてきつつあるように感じている。そんなことを今回は記事にしたい。

 僕が学校現場にいながら抱いている違和感というかモヤモヤの正体は「学校に子どもたちを集めているのに分断するようにしているのではないか」ということ。もう少し、簡潔にまとめるなら「子どもたちのふれ合いを保障していない」ということ。

 先程も述べたように「新しい生活様式」が定着してきた。だから、ソーシャルディスタンスに代表されるような人と人との接触をなるべく減らすことが提案されている。新型コロナウイルスのことを考えると致し方ない、と思う。

 それを受け、学校での子どもたちの接触をなるべく減らすようにしている。でも、それはなかなか難しい(苦笑)。子どもにソーシャルディスタンスは厳しい。休憩時間は特に難しい。まあ、こちらが制御しようとも全てはできず、自然と子どもたち同士の関りが生まれていることとなる。これは自然発生的なものなので止めるのも難しいし、あってよいものだろう。もちろん、ソーシャルディスタンスや手洗い・うがいの奨励はするのだけど。

 僕が特に気にしているのが授業でのふれ合い。授業となると教師にとっては制御しやすい場となる。だから、そこではふれ合いをなるべく排除することもできる。そのような様子を多く見ている。だけど、授業こそふれ合いを保障すべきではないか、と僕は考えている。

 休憩時間のふれ合いは、往々にして気の合う同士の間で行われているものである。それはそれでいいのだが、その枠組を越えるようなふれ合いは授業でこそ生み出しやすい。だからこそ、授業でのふれ合いを保障したいのである。

 繰り返しになるが、そのふれ合いをつくるというのがこのポスト・コロナの状況では難しい。それは重々承知している。だけど、学校現場にいる者として「難しいですね」で考えを止めたくない。止めているようでは学校現場にいなくてもよいだろう。

 授業で(授業だけでなく学校という場で)、ふれ合いを生み出すために何ができるのか、ということについて真剣に考えないといけないのではないか。そんな僕の考えを拙いものであるが、アウトプットしてみた。僕の中で生まれた「学校現場でふれ合いを保障するにはどうしたらよいのか」という問い。大切に持ちながら学校現場にいよう。

 

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思い出のTシャツ

今週のお題「お気に入りのTシャツ」

 

 Tシャツは着ないことないですが、ポロシャツの方がよく着ています。襟がついているので、何となくちゃんとしているように感じる。Tシャツはプライベートな時に着るというイメージを持っています

 だから、Tシャツのことで記事を書くとなると、何を書けばいいのでしょうか。なかなか思いつかず、時間が過ぎていました。
 そんな時に衣装ケースを整理していると、いくつかTシャツを見つけました。それは、学生時代のTシャツ。
 学生時代に文化祭等でクラス全員で同じTシャツを着たことはないでしょうか。また、部活やサークルで全員お揃いのTシャツを着たことはないでしょうか。そんなTシャツの一枚や二枚はみなさん持っているのではないでしょうか。そんなTシャツを見つけたのです。
 正直に言いますと、僕はTシャツを揃えるというのは得意ではありません。なぜなら、そのTシャツが欲しいわけでもないし、その時以外に着用する想像がつかないから。まあ、簡単に言うとノリの悪い奴なのです(苦笑)。
 でも、こんなこと言いながらも、それなりの思い出はこのTシャツに残っている。「ああ、あの時はあんなことしたよな」「あの時のあの人は元気かな?」等、センチメンタルな気持ちになったりします。でも、もちろん着用することはない。これからもない、と断言できる。
 でも、それなりの思い出のあるこれらのTシャツを、僕は処分することはないだろう。いや、いずれは処分することになるとは思うけど。それはまだまだ先のように思っている。
 みなさんもタンスや引き出しを一度見てみてください。奥に眠っている思い出が見つかるかもしれませんよ。

学級経営の必読書

 僕が学級経営を考える上で参考にしているのが、上越教育大学の赤坂真二先生の学級経営についての論考。赤坂先生は、以前から学級経営の論考を発表されてきた。

 赤坂先生の提案は、もちろん具体的な実践がある。それだけではなく、考え方も提示されている。僕としては、この考え方を知り、理解するようにしてから、学級経営が少しは上手くいくようになってきた、と感じている。

 そんな赤坂先生の新刊となる、学級経営についての一冊が発刊となった。それが『学級経営大全』である。タイトルからもわかるように、学級経営についてを中心に据えた一冊となっている。

 内容は、学級経営力アップ6つのポイントを挙げられ、それについて実践や考え方を提示されている。実践と書いたが、考え方の方が多く紙面を割いている。それだけ、赤坂先生も考え方の部分に重きを置いているのだろう。

 少しになるが、僕が読んでみて目に留まった箇所を引用してみる。

学級経営に必要なことは、まず、学級の目的地としての理想像です。どんなクラスにしたいかという教師のビジョンです。そこには、教師の様々な価値観が反映されます。次に、現在地としての実態の見取りです。今、みなさんが担任しているクラスは、理想とどれくらいギャップがあるのでしょうか。その理想と現実のギャップが見えない人は、指導ができません。指導とは、理想と現実のギャップを埋める営みを言います。そして、子どもたちを現在地から目的地へ導くための具体的な指導方法です。

  学級は教師の心象風景の現れでもある。だからこそ、よりよい学級にしていくために、教師である自分のビジョンを高めていく必要があるだろう。

教師の仕事は、子どもの成功なくして、自らの成功なしです。わが国の教育は、どちらかというと教師の視点で設計され、学ぶことよりも教えることに関心が向けられがちです。しかし、そろそろ学習内容や教授法に大きな比重をかける教育から、学習者視点に立った教育を本気になって創りあげていく必要があるのではないでしょうか。

 「教師の仕事は、子どもの成功なくして、自らの成功なしです。」という表現は短いが、力強いものである。そして、シンプルだからこそわかりやすいものでもある。

厳しいチャレンジの時代に、活力をもって生き抜くためには人を信頼しつながり協力すること、そして、それができると自覚していくことは、かなり重要な資質であり能力だと考えられます。これからの時代、他者とつながれないことは、人生のリスクであるとすら言っていいのではないでしょうか。

 このように考えるのなら、わざわざ学校で集う意味が出てくるのではないだろうか。だからこそ、学級経営を行わないといけないのではないだろうか。そして、学級経営力を高めないといけないのだ。

 

 いかがだったでしょうか。今回紹介したのは、あくまでも一部分だけである。是非手にして一読することをおすすめする。きっと学級経営力が高まることだろう。

学級経営大全 (学級経営力向上シリーズ)

学級経営大全 (学級経営力向上シリーズ)

  • 作者:赤坂 真二
  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: 単行本
 

ポスト・コロナの学校現場⑨「長い目で見る」

 前回も述べたように、本来なら今頃夏休み期間となっている。しかし、今年度はそうはなっていない。理由は言わずもがなである。

 授業時数は圧倒的に足りていない。でも、例年行っている行事が行えないので、何となく余裕があるようにも感じている。ということで、夏休みをしている場合ではない。まあ、仕方のないことかな、と諦めている。

 授業時数が足りていないだけではない。学級での時間も例年よりは少ないということでもある。もちろん、長い時間をかければよいものになるわけではない。でも、学級での子どもたちとの関係や子どもたち同士の関係をつくろうと思えば、それなりの時間が必要となる。

 つまり、何もかもが足りていないのである。このような状況だから仕方のないのだけど、子どもたちにとってはこの一年は取り返しのつかない一年でもある。だから、やっぱりできることはしたい。

 そう考えると、明らかに短い時間では無理である。というか、通常だとしても短期間で育てていこうなんて土台無理な話なのである。だから、一年はもちろん、もっと長い時間をかけて育てていきたい。授業時数が足りないので、一年の学習内容を可能なら二年間という時間で考えなくてはならない。

 これをよい契機として長い目で育てるということを意識したい。子どもたちにとっては取り返しのつかない一年ではある。だからと言って、教師も同じ目線にならなくてもよい。子どもたちにはあまりない、長い目で見るということを教師が持っていないといけないのではないだろうか。こういう意識があると、子どもたちにも自分自身にも無理を強いることはなくなるのではないだろうか。

 

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ポスト・コロナの学校現場⑧「ストレスの溜まる日々」

 今日はスポーツの日。本来なら東京五輪で盛り上がっている時期であった。でも、そうはならなかった。まさか、こんなことになるとは思いもしなかったのが正直なところである。

 学校だと本来なら一学期が終わり、夏休みを迎えているところであった。でも、そうはならなかった。まあ、しょうがないか、というのが現在の正直なところである。

 夏休みが短くなり残念というのはもちろんあるが、なぜいつもこれぐらいの時期に夏休みに入っているのか、ということを痛感している。とにかく暑いのだ。マスクを着用しているからというのも差し引いても、とにかく暑い。屋外での活動はかなり危険を伴う。となると、登下校だって危険である。夏休みって、安全面に配慮するという意味でも必要だよな、と感じた。

 暑くてストレスが溜まる。それだけでなく、現在の学校現場では子ども・教師共にストレスの溜まる状況にある。その代表的なもの三つを挙げてみる。

 一つは無言給食。会食はリスクがかなり高い。だから、無言で飛沫感染を防ぐようにしている。何も楽しくない…。食べるという楽しみを作業にしてしまっている。これだったら個人個人家で食べる方がよっぽど楽しいよな、と思ってしまう。仕方のないことだとは理解しているけども。

 二つはソーシャルディスタンス休憩。休憩の時間なんて子どもたちが一番楽しみにしている時間だ、と言っても言い過ぎではない。だけど、ここにも制約が生じる。無言とは言わなくても、マスクの着用やソーシャルディスタンスの保持等、しなくてはならない。子どもたちはそれでも楽しんでいる様子ではあるが、そこで指導しないといけないのは気が重い。ここぐらいいいようには思うけどな…。と、思いながら子どもたちを指導している。

 三つは消毒作業。教室等、子どもたちの多くが触れる所を消毒している。これがけっこうバカにならない作業なのである。それなりの時間がこれに割かれるようになる。その時間が貴重な時間でもある。家庭への連絡、次の日の準備、同僚との談笑等。やらないといけないのはわかるけど、いつまでやらないといけないのだろうか。

 このような状況においても、子どもたちはよくやってくれている、と感じている。それに応えないといけない、と思い僕たちも必死に踏ん張っていますよ。

 

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きっと雨はやむ

 ナツイチ本。と、言っても買ったのは去年か一昨年だけど。

 何人もの女の子の視点に立ち、教室や学校での息苦しさを浮かび上がらせている。きっと、誰もが「そういうことあるよね」と、共感できるだろう。そんなことを、題名の「雨の日」に例えているのだろう。

 僕は、学校へ行く、ということにあまり疑問を抱いた記憶がない。もちろん、彼女らが感じた辛さに似たような感情を抱いたことがあるし、似たような仕打ちを受けた記憶もある。

 それだけ考えていなかったのだな、と思う。いろいろなことを仕方のないことだと、ただただ受け入れるというか、流していたのだろう。そして、勇気がなかったのだ、とも思う。

 そうだ、教室や学校へ行かないというのも勇気がいることだ。それに、教室や学校へ行かないことは悪いことではない。このことは忘れずに、子どもたちといたい。そんなことを読みながら考えた。

 学校や教室へ行かないという選択をしている子たちに言いたい。「やまない雨はない。いつか雨がやむ時が来るから」と。だから、我慢しろということを言いたいわけではない。雨がやむ時が来るから、その日を待ち望んでほしいということ。その日を希望にしてほしいということ。

 教室や学校へ行くことに何かしらの思いを抱いている人には是非読んでもらいたい。中学生や高校生にとっては読みやすいだろう。それに加え、子どもたちに関わる方は、彼女らの視点に立ちながら読んでほしい。 

雨の降る日は学校に行かない (集英社文庫)

雨の降る日は学校に行かない (集英社文庫)

  • 作者:相沢 沙呼
  • 発売日: 2017/03/17
  • メディア: 文庫