今週のお題「〇〇からの卒業」
今週のお題「〇〇からの卒業」
学校現場では、「GIGAスクール構想」による機器の整備が進んでいる。各地で研修が行われ、新年度には本格的に稼働させることが目指されているであろう。かなりスピーディーに計画は進んでいる。
しかし、不安がないわけではない。いや、本当に使いこなせるのだろうか、どうなるだろうかという思いは付きまとう。実際に触ってみるのが一番ではあるのだが、なかなかそれは難しい。
そうは言いつつも、少しでも理解しておこう、と思い二冊の本を手に取ってみた。
一冊目は、『できるGoogle for Education コンプリートガイド 導入・運用・実践編』。
かなり細かいことまで書かれている内容であった。本当に細かく、これを読めば一通りのアプリは使えるだろう、と思った。ただ細かく書かれているので、具体的な活用例は少なめであった。実際にアプリ等を触って使い方を理解しようとする者にとっては物足りない内容であるように思った。
二冊目は、『今すぐ使える!Google for Education』。
基本的な使い方や活用法について知ることができる内容であった。学校現場での活用例が豊富で、具体的な実践が思い描きやすくなっている。
この二冊あれば充分とはならないとは思うが、手元にあれば心強い二冊には間違いない。「GIGAスクール構想」について頭を悩ませている者にとっては読んで損なしである。
繰り返しになってしまうが、やっぱり触ってみるのが一番だとは思うのだけど。
(無料電話サポート付、無料電子版ダウンロード特典付き)できるGoogle for Education コンプリートガイド 導入・運用・実践編 増補改訂2版 (できるシリーズ)
新型コロナウイルスの影響により、
しかし、
【過去記事】
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今週のお題「花粉」
花粉の季節ですね。つらい人にとっては本当につらい季節です。ええ、
自尊感情を揺さぶる社会
「自尊感情」とは心理学用語Self Esteem の訳語として定着した概念である。一般的には、「自己肯定感」「自己存在感」「自己効力感」等の語などと、ほぼ同じ意味合いで用いられている。
そして、日本の若者の自尊感情は、ご存知の通り、諸外国の若者に比べて低い。このような状況は、もう物珍しさもなくってきつつある。「日本の若者の自尊感情は、諸外国の若者に比べて低い」と聞いても、驚きもしない。
ずいぶん年齢を重ねてきたつもりであるが、まだまだ若者の部類である。だから、自尊感情の低さは、耳にタコができる程、聞いてきている。
そして、この話に付随してくる、大人たちの言葉もよく耳にしている。「もっと自分に自信を持って」というような励ましめいた言葉。「だから、今時の若い者は頼りにならない」というような恨めしそうな言葉。どちらも、ありがたく頂戴しているが、どちらの言葉も、僕たち若者の自尊感情を高めるためのものとはなっていない。
このような言葉を投げかけてくる者たちは「若者の自尊感情は、叱咤激励されればされるほど上がるものだ」と、楽観しているのだろう。わが身を顧みれば、そんなことあるはずがないということは骨身にしみてわかるはずなのに…。
適度な自尊感情
前節では、今までのように社会についての論考になってしまっていた。ここでもう一度、自尊感情の話に立ち戻ろう。
自分のことを自分で捉えるという概念には、「セルフ・エスティーム」という言葉をあてることが一般的である。「セルフ・エスティーム」は、日本語では「自尊感情」の他に、「自尊心」「自負心」「自己評価」「自己尊重」「自己価値」「自己肯定感」等、さまざまな語訳がある。
この中の「自尊感情」は、必ずしも良い響きだけを持つわけではなく、自分に対する感情を中立的に表現して捉えられている。つまり、「セルフ・エスティーム」という概念は、「自信を持ちゆったりと構えること」や、「自重する」という、いわゆるポジティブな思考を指すだけでなく、ネガティブな側面も包括した概念に近いのである。
自尊感情は、ポジティブな思考を指すだけでなく、ネガティブな側面も包括した概念に近い、と考える。そうすると、次の疑問は「自尊感情は、どの程度もつことができるとよいのか?」ということだ。
自尊感情が低過ぎる、ということは、やはり問題だろう。自尊感情が低過ぎるというと、主体的に行動することは難しい。また、何事においても不安感を持つことにもなる。極端だが、自尊感情が低過ぎると、自分で自分の命を奪う、ということも選択してしまうかもしれない。
一方で、自尊感情が高過ぎる、ということも、問題だろう。自尊感情が高過ぎるというと、過度な自己愛による防衛的な言動が生まれやすい。自己を防衛しようとし、周囲への攻撃性が高まり、トラブルが頻発することにもなる。
さて、ここまでは考えられるのだが、「自尊感情は、どの程度もつことができるとよいのか?」という問いにははっきりと答えを見出すことは、今現在ではできない。
だけど、この「自尊感情」ということを考えることは、僕たち「ゆとり世代」のことはもちろん、これからの教育・社会を考えることにつながる、と確信している。
参考・引用文献
このブログでも記事にしたのだが、自分なりに「自殺予防」について考えを進めている(よければ過去記事を参照してください)。
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考えているだけでなく、実践に移すということが次のステップのように思う。そこで、実践を見据え、実践書を読み、実践を構想してみた。そこで、読んでみたいくつかの本を紹介する。
一冊目は、『学校における自殺予防教育のすすめ方』というもの。
北九州市での自殺予防の取り組みをまとめた一冊。実際に行われているものであるので、大いに参考になる。
僕はこの本に出てくる言葉がとても印象に残っている。それが以下のもの。
生きていれば、だれにでもこころが苦しいときがある
すごくシンプルに、誰もが陥る状況を表してくれている言葉だ、と感じた。
二冊目は、『学校現場から発信する子どもの自殺予防ガイドブック』というもの。
著者の阪中順子先生は、以前より精力的に自殺予防に取り組んでおられる方である。学校における自殺予防の第一人者といっても過言ではない存在。
そんな阪中先生の取り組みを、理論から実践まで余すところなく読むことのできる一冊となっている。学術書の部類に入るだろう。だから、少し読むのには骨が折れる。しかし、自殺予防に取り組む際には必読の一冊となっている。
三冊目は、『学校における自殺予防教育プログラムGRIP』というもの。
自殺予防に特化したプログラムを開発され、その実際を読むことができる。この一冊が手元にあれば追試することは可能である。また、ワークシート等の資料も豊富であり、ダウンロードも可能である。
ただ、これだけの時間を割くことは難しのでは、と思う。しかし、自殺予防に取り組む必要性には変わらない。一部でもいいから実施できるよう、それぞれの現場でアレンジをするとよいだろう。
四冊目は、『教師にできる自殺予防――子どものSOSを見逃さない』というもの。
2020年に発刊されたものであり、最新のデータが用いられている。また、コロナ禍についても言及され、今まさに読むべき一冊となっている。
教師にできるというタイトル通り、教師ができる、教師だからこそできる、教師だからこそしないといけない自殺予防について考えることのできる内容となっている。
著者の髙橋聡美先生は以下のように強く語っておられる。
子どもの自殺を減らそうとする時に、子どもたちに変わることを求める前に、私たち大人が子どもたちへの接し方を変え、身近にあるSOSを受けとめるスキルを身につけなければならないのだと思います。
大人たちが変わらなければ、子どもの自殺は減らない。逆に言うと、私たち大人が変われば子どもの自殺を減らすことができるのです。
これは、どの自殺予防の本を読んでも目にするフレーズである。でも、何回も目にして肝に銘じておかないといけないことでもあるように思う。
いかがだっただろうか。自殺予防を実践する際に読んでおきたいものを紹介した。ここまできたら実践に移りたい。そんな報告をできるよう進めていきたい。
今週のお題「雛祭り」
雛祭りという行事に縁のない人生を歩んできた。正直に言うと、
新型コロナウイルスの影響により、例年通りとはいかないことが多くあった。学校や教室でもそのように感じることがいくつもあった。例えば、「机と机の間を空ける配置にしないといけない」「話し合いをなるべくしないようにする」等々。挙げればきりがない程あった。
しかし、これらができないから、制約があるから仕方がない、と考えるのは違うのではないだろうか。できないから、制約があるからこそ、改めて自分自身が大切にしてきたことや大切にしたいことを考えるきかっけとなった。そして、そこで考えたことこそが自分の信念と言えるものだろう。
僕がこのコロナ禍でも大切にしたい、と考えたものは三つあった。
一つは、「子どもの声」。
やっぱり、子どもたちの声があってこその学校である。子どもがおらず、ただ大人が集まっていても何の意味もない(笑)。そして、子どもたちは学校にいるが、声が聞こえないというのも意味がない。子どもたちの声が教室や学校の中で響くようにしたい。
二つは、「子どもの自己主導」。
これは、先程の「子どもの声」とつながっている。子どもたちの声が教室や学校で響くということは、子どもたちの思いや考えが出されている状態であろう。ただの喧騒ではない。そうであるなら、子どもたちのその出した思いや考えで進んで行くことのできるような環境を整えたい。つまり、子どもの自己主導で進めることができるということである。
三つは、「子ども同士の関わり」。
コロナ禍で人が集まるということは、基本的に避けられるようになった。その中で、子どもたちは教室や学校へ集まっている。だからこそ、なぜ集まるのか、ということを考えないといけない。そこに意味を見出せないのなら、オンラインでよいということになりかねない(もちろん、オンラインのよさはある)。僕は、「なぜ教室や学校へ集まるのか」という問いに対して、「子ども同士の関わりがあるから」と答えたい。ここで生まれた子ども同士の関わりが未来を創る、と思っている。子ども同士の関わりを通し、人との関わり方を学ぶ、自身を相対的に捉え理解する、関わることのよさを知ることができるのではないだろうか。だから、コロナ禍でもわざわざ集めているのだ。
僕なりの大切にしているもの・大切にしたいものを書き出してみた。これが僕の信念だ、と言っても差支えはない。みなさんの大切なもの・大切にしたいものは何でしょうか?
【過去記事】
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僕はプロレスに関して言葉で説明できないものは何ひとつない。(by丸藤正道)
これは、天才・丸藤正道の言葉である。先日、書評として記事にした丸藤正道の本の中に出てきた言葉である。
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この言葉は文章の一部である。せっかくなので、全体の流れがわかるよう引用する。
全日本プロレスは「習うより、慣れろ!」ではなく、しっかりと理屈で教えながら、身体で覚えさせてくれる。無茶な教え方をされた記憶は一切ない。
だから僕はプロレスに関して言葉で説明できないものは何ひとつない。
この文章を読んだ時「そこまで言い切ることができるのだな」と、素直に驚いた。でも、これこそがプロフェッショナルたる姿のように思えた。
この文章は、全日本プロレスの教え方のよさを伝える意図で記載されたものであろう。もちろん、そう読めるのであるが、だからと言って全てを言葉で説明できるようになるだろうな、とは思えない。それを丸藤は言い切る。それは、丸藤の努力やセンスなのであろう、と思う。
技術は理論に支えられている。もちろん、経験からできあがっていく技術だってある。でも、その技術がしっかりしている人ならば理論を説明することができるだろう。そこまでいかないと、技術として会得できたとは言えないのだろう。確かに、試合の場面でいちいち思い出しながら、考えながらなんてできない。だから、体で覚える。でも、そこで終わりではなく説明できるまで昇華する。
このようなプロセスを経ているのではないだろうか。ここまでしてこそ、できてこそプロフェッショナではないだろうか。そのような凄みを見せつけられているように感じられた。
「授業で行っていることに関して言葉で説明できないものは何ひとつない」。そこまで言い切れることができるよう、僕は自分が行っていることを意識化できているだろうか。そこまでの域に達するには、意識して動く必要があるだろう。
あなたは自分が行っていることに関して言葉で説明できるだろうか? そんな大きな問題を丸藤から与えられた。
小学校では新学習指導要領が全面実施となっている。そこでのキーワードの一つとして「アクティブラーニング」という言葉があった。それも「主体的・対話的で深い学び」という言葉に取って代わってしまったが。でも、「アクティブラーニング」の考えはつながっているものではある。
そんな「アクティブラーニング」についてたくさん論じているのが溝上慎一先生である。溝上先生は理論を説明すると同時に、現場での実践も丁寧に見取り論を述べられていた。それがまとまった形になっているのが「学びと成長の講話シリーズ」である。
そのシリーズの新作が出版され、すぐに手に取って読んでみた。これでシリーズ三作目になる。もし、興味があれば一作目と二作目の書評をご覧ください。
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今回のテーマは「社会に生きる個性」。そして、副題として「自己と他者・拡張的パーソナリティ・エージェンシー」となっている。この中でも「自己と他者」という視点が僕にとっては興味深かった。
少しになるが引用しながら述べることとする。
溝上先生は、他者と対峙することが自己の発現には必要不可欠であることを、スポーツの場面を例にして説明されている。
人の一個存在としての自己を論じるためには異物の進入が必要である。人にとって異物に相当するのは「他者」であり、異物の侵入に相当するのは「他者との対峙(他者性)」である。
たとえば、スポーツの大会で力のある選手に完敗して、「この人はすごいなあ。自分はこの人にはかなわない」と思うとする。ここに、他者(力のある選手)と対峙して発現する自己(この選手にはかなわない自分)を見て取ることができる。他者との対峙があってこそ、人はその他者に対しての自身(自己)を良くも悪くも発現させる。この他者を通して発現する一個存在こそが「自己」と呼ばれるものである。
なるほど、とてもわかりやすい例であり、説明となっている。「他者」との対峙(比較)を通して、自己は自己を獲得することとなる。つまり、自分一人だけでは自己を獲得することはできないということである。
このように考えると、学校という場で、多くの他者と場を共にする意義が見出せるのではないだろうか。コロナ禍において、学校という場に集まりわざわざ密の状況を作っているだけではないか、と思われている節もある。しかし、そうではあっても学校という場に他者が集まることの意味があるのだ。このことを学校という場にいる教師自身が持っておかないといけないだろう。
もちろん、他者が集まるからこそハプニングやトラブルが起こることにもなるのだが。そこにどのように対応していくか、どのように関わっていくのかということにも意義はあると考えているが。
この他にも教育現場を見て感じたこと等にも触れられている。教師にとって必読の一冊であるというのは言い過ぎではない。是非とも手に取ってみてほしい。
学年末が近づいている。新型コロナウイルスの影響により、例年通りとはいかない一年が終わりを迎えようとしている。学校現場は大きな変化が見られた。しかし、大きな混乱はあまりなく学年末を迎えようとしている。これだけでも万々歳ではないだろうか、と思っている。
学年末は、節目のイベントがある。「卒業生を祝う集会」「卒業式」が代表的なものである。しかし、この行事をやるとなると密は避けられない。必然的に人が集まってしまう。
卒業生が参加するのは必須であるが、在校生は密が避けられないのなら参加しなくてもよいのではないか。もちろん、参加できるといいのだが、そうも言っていられない状況だろう。
でも、卒業生の保護者は参加したいだろうな、と思う。都合がつけば2人・3人と家族総出で参加するというのも不思議ではない。だが、それを受け入れることのできる状況ではない。そうは言いながらも、参加したいよな…。
じゃあ、イベントの様子を動画配信するのはどうだろうか、と思いつく。技術的には不可能ではない。動画配信ができるなら、密を避けつつ、保護者の参加したい思いにも対応することができるのではないだろうか。まあ、これは思いつきなので実現するか、実現できるかはわからないけど。僕としては悪くないアイデアだと思う。
大変そうだから止めておく、普段と違うことだから止めておく、というのは受け入れられないだろうな。いや、実際に声を上げられなくとも、このような意識は持っておかないといけないだろう。
動画配信を実際に行う予定、実際に行ったことがあるという学校はあるのだろうか。きっとあるだろうな。じゃあ、やっぱり真剣に考えないといけないな。
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今週のお題「告白します」
実は、僕――
お題「#この1年の変化 」
早いもので、新型コロナウイルスがある世界として一年間を暮らしたことになる。何だかあっという間だったな、と思い返しながら感じている。思い返したついでに、この1年の変化を考えてみる。そうすると、三つのことが思い浮かんだ。
変化1:より引きこもるように
どちらかと言うと出不精である。引きこもって、一人でうんうん唸っている方は性に合っている。そして、新型コロナウイルスが拡大し、引きこもることが推奨された。それをいいことに、より引きこもるようになった。僕にとっては渡りに船のようであった。引きこもりライフを楽しんでいる。
でも、不思議なもので「引きこもっていいよ」となると、「ちょっとは外に出たいな」と思えてくる。自分の天の邪鬼ぶりを痛感する(笑)。でも、悪いことではないだろう。今は引きこもっておき、心置きなく外に出られるようになる時を楽しみにしておこう。
変化2:オンラインの利用
オンライン授業、オンライン呑み会等、いろいろなオンラインを経験した。これはなかなか悪くない。というか、けっこうオンラインで何でもできるものだな、と思えるぐらいであった。だいたいのことはこれでいいや、と思っているぐらいである。
でも、リアルでする、会えるというのはもちろん意味のあることだ。オンラインで会っている友人に、ひょんな時にリアルで会うとすごく楽しく嬉しかった。同じ時間を共有したという感覚が強かった。これはオンラインを経験したからこそ、感じられたものであるだろう。
変化3:マスクへの抵抗感が下がる
僕は、学校ではなるべくマスクをつけないようにしていた。つけているのは給食の準備時だけだったのではないだろうか。それは、自分の表情や声が子どもたちに届きにくくなるのではないか、と思ったから。そこに自信がなかったので、マスクをつけられかった。
だけど、現在ではマスクを着用するのがデフォルトととなった。やってみると意外とできるものだな、と思う。また、特に悪影響はないようにさえ思っている。それに、風邪をひく等の病気が減った。インフルエンザなんて全然聞かない。例年だと学級閉鎖の知らせを耳にすることだってあるのに。マスクだけでなく、消毒や手洗いのおかげでもあるのだろうけど。
ざっと変化を三つ挙げてみた。書いていて思ったことは、どのような状況でも慣れればやれるものだ、ということ。慣れるまで大変というのはあるのだけれど。
だからと言って、このような状況が続いてほしくはない。しかし、「やまない雨はない」という言葉があるように、気楽にとはいかないが希望を持ちつつやり過ごしていきたい。
不登校という課題は、日本の教育にとって大きなものである。僕も不登校の子どもや不登校傾向の子どもと対峙している者の一人である。そして、そこで大いに悩んでいる者の一人である。
僕は不登校の経験がない。「学校に行きたくないな」と思っても、それを実際に行動に移したことはない。だから、不登校の子どものことがわからない。これはその子を理解することを諦めているわけではないし、突き放しているわけでもない。本当に理解できないのである。
理解できない、と考えている方がいいのでは、とさえ思っている。その子のことを理解している、と勝手に思っていると上手くいかないだろう。それに理解できていない、と思うからこそ、理解しようと働きかけるだろうし。
さて、前置きが長くなってしまった。今回紹介するのは、不登校について考えることのできる一冊。
タイトルに「コミュニケーション能力」という文字がある。だから、コミュニケーション能力についてのものだろう、と思ったのだがそうではなかった。でも、全く触れられていないわけではない。コミュニケーション能力について考えたい者にとっても有益な一冊であろう。
それよりも、不登校について考えさせられる記述が多くあった。少しになるが紹介する。
不登校やひきこもりという現象には、「学校に行くべき」「仕事をするべき」であることを、本人は十分に分かっていながら、それをしない、できないという特徴があります。
このことは、不登校の子どもから感じていたものである。また、このような言葉を不登校の子自身の口から聞いたこともある。
「本来ならば登校しているべき、働いているべき」とする価値観と、「にもかかわらずそうなっていない自分」という自己認識のギャップは、「そんな自分を否定するだろう社会」への参加をますます遠ざけるのです。
そこには、「社会的でありすぎることによって、社会から撤退する」というパラドックスがあるように見えます。あえて「社会性」という言葉を使うならば、これらの人びとは、「社会性」がないのではなく、むしろ過剰なのです。
「社会性」がないのではなく、むしろ過剰なのです。という記述は、不登校という現象を端的に説明してくれているものであるように思えた。もちろん、どの子もそうだ、とは言えません。しかし、多くの子に当てはまるのでないか、と思います。
この本では、不登校への対処法は示されていない。だが、不登校の違う見方のようなものを示してくれている。不登校を考えたい者にとって有益な一冊には間違いない。
緊急事態宣言が延長されることになった。全体的には感染者は減ってきている。しかし、まだまだ油断は禁物ということであろう。少し緩むと感染者数は増えていく。まあ、妥当な判断なのかな、と思う。残念ではあるが。
このような状況が続いていくと、どうしても心が閉ざされてしまう感覚に陥る。現在では「ソーシャルディスタンス」を取るように求められる。だから、当然人と人との間には空間ができる。それは物理的にもそうだし、心理的にもそうだろう。
感染対策には適切であることは理解している。だが、心が閉ざされてしまう弊害はある。心が閉ざされてしまうと、他者と関わることが減っていく。それで何も問題がなければいいのだが。もし、この状況で問題が起こると、たちまち困ってしまうのではないだろうか。なぜなら、問題が起こっても誰にも相談できないということにもなってしまうから。それこそ弱者ではないだろうか。
これはその人が悪いわけではない。この新型コロナウイルス感染拡大という状況が悪いのである。だからこそ、意識して心を開くように努めたい。心が開ける場はどこでもよい。家でもいいし、学校でもいいし、友人との間でもいいし、どこでもいい。そんな場所が一つだけでいいからあるといいのではないだろうか。
そして、そこで心を開くことは自分が救われることもあれば、誰かを救うことにもつながるだろう。だから、心を開くということは誰かの希望にもなり得るということだ。
心を開くことを意識しましょう。また、自分や周囲の人が心を開くことのできる環境を調整していくことを考えてみましょう。
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