小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

プロレスはリアルとファンタジーの世界や!!

プロレスはリアルとファンタジーの世界や!!(by CIMA)

 プロレスのリングは非日常の空間である。「体の大きな人間たちが体と体をぶつけ合う」光景は日常では見られない。まさにファンタジーの空間である。そこに君臨しているプロレスラーとはファンタジーの世界の住人なのである。

 しかし、言わずもがなプロレスラーは生身の人間であり、リアルを生きている存在でもある。

 つまり、プロレスラー(プロレス)は「リアル」と「ファンタジー」を往来し、境目に立っているような存在なのである。

 教師も同じ所に立っているような存在なのではないだろうか?

 思いやりが大切だ、協力することが大切だ、責任感をもて、公正な態度をとれ、公平こそが集団生活で最も大切なのだ、努力する者は報われる、話せばわかってもらえる、他人は決して裏切らない、必ず誰かが見ていてくれる、一人はみんなのために、みんなは一人のために…、挙げるときりがないが。これらのことは、現在の社会で「リアル」として考えられているだろうか? 挙げた例は、今や「ファンタジー」の代物となっていないだろうか?

 だが、上記のようなことを教師は意気揚々と? 語る。「これが正しい!」と言わんばかりに。しかし、このようなことを「正しい」と考えている者が多数を占めるという状況ではなくなってきている。つまり、教育で語る言葉、行うことが「大きな物語」として機能しなくなったのである。

 教師は「大きな物語」の後ろ盾を失い、もう既に「これが正しい」と子どもたちに語るべき言葉を持たない、たとえ持ったとしても「それは先生の個人的な正しさでしょ?」と即座に相対化されてしまう。

 しかし、しかしである。思いやりが大切だの何だのというものは「リアル」である。このことを教育が、教師が語ることができなくなると、教育の価値はない。これは真剣に考えている。だから、語り方や迫り方を変化させていかないといけないのであろう。そして、教師が考えていることが「絶対解」ではないということも肝に銘じておこう。

 以上のように、教師は「リアル」と「ファンタジー」を往来し、立っているのである。

つまり、プロレスラー=教師であり、プロレス=教育なのである (笑)。