小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

バカのすゝめ

 ノリが悪い、ということは自認してきた。中学生の頃に薄々気づき始め、高校生の頃には自覚し始めていた。そして、大学生の頃や現在は、ノリが悪いことに対して開き直り、居直っている。

 ノリでーというか気合いや断定的な態度でー、物事を進めようとする者たちの側で、「いや本当にそれでいいの?」「整合性ないよ!」「反対の立場を考えなくていいの?」等、悶々と思いながら眺めていた。しかし、「これでいいか?」等と聞かれると、薄ら笑いながら「別にいいんじゃない」と答える。はい、ノリが悪いですね。ノリだけでなく、感じも悪い。
 そんな自分の態度というか考えにお墨付き? を与えてくれたのが、『勉強の哲学』である。
 著者の千葉は勉強することは、バカになることであり、それによりノリも悪くなり、キモくなる、と喝破した。
 そして、バカになるということは言語偏重になる、ということでもある。だから、些末な表現や考えの矛盾や違和感が気になってくる、というわけだ。
 じゃあ、ノリが悪くていいや、こうやって生きていこう、とさらに居直りに拍車がかかってきている(笑)。まあ、元々ノリがよくなろうともあんまり思ってもいないのだけど(笑)
 だけど、ここに居座るのがいいわけではない。ノリが悪い、キモい所を経て、またノリに戻る。この時には、ノリにあえてノリながらも距離を取る、ノリにあえてノラずに考える等、自由自在にノリを扱えるようになっている。
 そうやって、ノリからノリに移行できる。これこそが、千葉の言う「来たるべきバカ」の姿なのだろう。結局、ノリをも相対的に扱ってしまうということだろう。
 さあ、みなさんも勉強し、バカになりましょう!
勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために