小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

ゆるりと

 前回の記事で、3学期をあまり張り切りすぎない、という何とも気の抜けた? 提案をした。

 

kyousituchallenge.hatenablog.jp

 

 その意図というか考えをもう少しまとめたい、と思い、今回はそのことで書きます。  

①成長を求め過ぎない

 終結期は終わりが見えてくる。次の担任に引き継ぐ、ということを意識することとなる。その時に子どもたちに目を向けると、子どもたちの不備・不足がいつもより気になってくる。内心で「もう少し成長させないといけないな」「次の学年で困らないかな」等と考える。そして、何らかの新たな指導・支援を試みる。

 しかし、この指導・支援は必要ない。なぜなら、残り一・二か月になり何かに力を入れたら、子どもたちがこれまでできなかったことが急にできるようになることは、ほぼあり得ないからだ。今まで十か月かかりできなかったことを、少しやり方を変えただけで、一・二か月でできるようになるはずがない。子どもたちからすれば、急に目の前のゴールを動かされるようなものだから、教師に対して不信を感じかねない。

 もちろん、新たな指導・支援が無意味だと考えているわけではない。今までやってきたことでやり過ごすぐらいがちょうどいいのではないか、ということである。「最後まで成長させたい」というのは、あくまでも教師側の論理である、ということは自覚しておきたい。

②合わない子への眼差しを厳しくし過ぎない

 世界はますます多様化している。それと同じように、教室の中だって多様で異質である。だけど、学校教育は、それを無いことにして、「同質だ」と勝手に決めつけて運営してきた(現在もだけど)。しかし、これはフィクションです。教室は、考え方も価値観も学びのスタイルもペースも実は違う多様なメンバーが集まっている異質な場である。

 だけど、教師はこんな当たり前のことを自覚できていない。だから、自分のやり方―学校のやり方―に合わない子どもたちに対して厳しい目を向ける。教師として、教室や学校という場でリーダーシップを発揮することは決して間違っていない。だが、自分の指導・支援のやり方と合わない子どもたちが一定数存在しているかもしれない、という想像は持っておきたい。そうしないと、教師―学校―に合う子どもを基準に全ての学校生活を測り、教師―学校―に合わない子にただ厳しく接し、必要以上に肩身の狭い思いをさせることになるかもしれない。

共依存に陥らない

 多くの教師は、子どもたちのことを真剣に考えている。しかし、子どもたちが悩んでいること・苦しんでいることをどうにかしてあげようと、自分の考える答えに沿って、すぐに指導・支援してしまいがちである。そうすることで、子どもたちが、自分自身で答えを見つけ出す力を身につけることなく、教師に依存する状態にしてしまう。このような教師の在り方は、多くの子どもたちを適切に支援できているような「自己満足」を感じさせる。

 だけど、子どもたち自身が育つわけではないので、指導・支援しないといけない子どもはどんどん増える。そして、どんどん頼りにされ、忙しくなる。忙しくなってくると、指導・支援に奔走することとなる。やがて、その教師がいないということは考えられなくなり、教師は身動きがとれなくなる。結局、指導・支援することで、子どもたちとの「共依存」の状況に陥っている。このような「共依存型」とも言える指導・支援は、多く見られる。

 教師はだいたいが一年契約だ。一年経つと担任は替わる。長くてもせいぜい二・三年である。教師は、どこまでも子どもの傍にはいられない。次の担任に引き継がないといけない。この当たり前のことを、教師自身が自覚しないといけない。

 以上の三点が終結期での考え方である。簡単に言うと、「最後はソフトランディング(軟着陸)」ということである。約一年間過ごし、子どもたちと行ってきたことを大切にし、子どもたちと教師との関係や子どもたち同士の関係も大きく改善することは難しいので、そのまま無理なく一年を終えるという発想である。