小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

「つながり」のダークサイド

 「近年、地域の教育力の低下があると指摘されています——」という、もう今や使い古された感のあるフレーズ。このフレーズは、つまり「近年、地域につながりが失われている」ということを表しているのだと思う。

 では、なぜ地域につながりが失われてきたのだろうか? そこには社会の変化が大きく関係している。

 高度経済成長を果たし、全世帯にテレビや洗濯機等が行き渡るようになる。そうなると内需が飽和状態を迎えることとなる。そこで、内需拡大を目指し、経済政策が次々と行われた。テレビは家族で一台ではなく、一人に一台。自家用車は家族で一台ではなく、夫婦が一台ずつ持つ。こうして、あらゆる物が一人一台主義化していく。そして、携帯電話・スマートフォンはもちろん一人一台を持つ。

 社会が、「集団」をどんどん「個」に解体し、より多くの資本主義的利益を得ようと躍起になり、見事に「集団」は解体されていった。その結果、地域にはつながりが失われた。

 だけど、天災が起こった時の人々の行動は上記で述べたことを覆す様子が見られる。そして、その姿に諸外国から賛辞の声をかけられる。その声を聞き、僕たちはまんざらでもない。いやむしろ、この「つながり」こそ誇りである、とさえ感じている。

 ここで言う「つながり」は、ソーシャル・キャピタル社会関係資本と呼ばれているものである。経済学者の稲葉陽二は、この社会関係資本ーつながりーにはダークサイドがある、と指摘している。

社会関係資本にはダークサイドもある。ネットワークは絆とも言い換えることができるが、絆は、『広辞苑』によれば「馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱」である。軛であり、しがらみでもある。

 初めに紹介した「近年、地域の教育力の低下があると指摘されています——」という、使い古されたフレーズ。つながりを薄めようと願ったのも間違いなく自分たちである。なぜなら、しがらみが煩わしいから。

 だけど、「つながり」が失われている状況は決してよいことではない。

なぜなら、現代は先の見通せない時代と言われるぐらい、将来が不透明だからである。急に貧困に陥る、病気をして働けなくなる等、路頭に迷う事例も少なくはない。その時に頼ることができるのは誰になるだろうか?

 このようなことを考えると、「つながり」―「仲間」―をつくる教育をしていくことは(だけでは十分ではないと思うけど)、子どもたちが「自立」し、ささやかな幸せを掴み取るためには必要なことである、と考えている。

 でも、その時にでも稲葉が指摘する、社会関係資本のダークサイドを見据えながら教育をしていく必要があるだろう。

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