小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

多様性の指標

 以前記事にした「多様性」についての続き。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

  さて、「何が達成されたら、多様性が保障されたといえるのか」という問いが生まれます。この問いに応えてみることにする。

 多様性をはかる指標は、「安心・安全」「納得感」と、考えられるのではないか。ここでもう一歩踏み込んで考えてみる。多様性を保障するために、なぜ「安心・安全」「納得感」が必要なのか? 「安心・安全」「納得感」を生むにはどうしたらよいのか?

 「安心・安全」を教室に生み出すということは、多様性を保障するという文脈のみで必要なことではない。どの教室でも「安心・安全」を生み出すということは必要である。そうでないと子どもたちは、いや教師でさえもその教室に居られない。なぜなら、誰もいつ何時危害が及ぶかもしれない場所に居たくはないからだ。だから、教室に「安心・安全」をつくる、ということは最低条件として必要である。

 そんな「安心・安全」をつくるためには、教室に規律をつくる必要がある。もっと簡単に言うと、ルールをつくるということである。こう言うと、「子どもたちを規律で縛り付けるのか!」等という言葉が聞こえてくることがある。これは全くもって誤解である。別に子どもたちを規律やルールで縛り付けるわけではない。ルールというものは、できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものである。だから、なるべく多くの人が、最大限の自由を得られるためにルールを設定する。そして、ルールは教師主導で設定するものもあれば、子どもたちと話し合い設定するものもある。さらに言えば、このルールをしっかりと確認できるシステム―クラス会議等―も必要となる。しかし、これらを詳しく述べ始めると本旨から外れていくのでこの辺りに留めておくことにする。とにかく、「安心・安全」をつくるためには、教室に規律をつくることが肝要なのである。

 また、「安心・安全」をつくるためには、「つながり」をつくる必要もある。昨今人間関係の希薄化が進む中で、家庭や地域社会において社会性を身に付ける機会が減少し、望ましい人間関係を築く力等の社会性が身に付けにくくなっていると指摘されている。それは、子どもたちも例外ではない。子どもたちは、同じ学級に在籍していても「全員が仲間」と感じるわけではなく「何となく知っているけど別に仲は良くないよ」と、言った感じである。例えるなら「群れ」でいるだけ。そのため、「群れ」でいる一人ひとりを意図的・計画的につなげる必要がある。具体的には、協働する(せざるを得ない)機会を保証し、どの子にも協働体験を得られるようにする。そこでは、なるべく子どもたちに預ける。そうすると、子どもたちは、時に揉め、葛藤し、未熟な姿を露わにする。そこを乗り越えさせ、つながりを形成し、自分と他者との相互依存を認め合えるようにしていく。つまり、協働させることで、子どもたちのつながりを育んでいくということである。

 以上で述べたことは、多くの論者が学級経営において大切なものである、と述べている(野中信行、横藤雅人『必ずクラスがまとまる教師の成功術!』学陽書房、2011・河村茂雄『学級集団づくりのゼロ段階』図書文化社、2012)。「規律」をハード面、「つながり」をソフト面と考えることもできるだろう。この二つをそろえることで教室に「安心・安全」を生むことができる。

 次に「納得感」を子どもたちに持ってもらうことについて述べる。子どもたち一人ひとりが、「教室に多様性があってよい」「一人ひとりの感じ方や考え方は違う」ということについて納得しておかないといけない。そうでもないと、教室に多様性が保障されることはない。だからこそ、子どもたちに「納得感」を持ってもらわないといけない。

 子どもたちに「納得感」を持ってもらうためには、やはり「語り」が有効になるでしょう。「語る」ということは、言葉の通り、子どもたちに話すこと。学級担任をしていると子どもたちに「語る」という場面は多くある。朝の会、授業、行事等々。そこで、価値ある行為や大切にしたい価値を語る。もちろん、「語る」ということは、教師の思いが強くなる。だから、気をつけていないと独りよがりのもになってしまう。しかし、だからと言って、「語る」ことを放棄してしまうのは良くない、と考えている。でも、語れば子どもたち全員が納得するわけではない。そうだったら楽なのだが(笑)。だから、何回も繰り返し語る。だけど、それだけでは不十分だ、と実践を通しながら感じている。そこで、語ったことを可視化する必要がある、と考えている。もちろん、やたらめったに可視化することはしなくてもよいだろう。「これは!」と思うものは可視化すればよい。可視化することで、繰り返し立ち返ることができる。それがあることでじわじわと子どもたちの中に浸透させることができるのではないか、と考えている。

 また、子どもたちに「納得感」を持ってもらうためには、子どもたちの「主体性」を掘り起こす必要がある。受け身になり、教師の説明を黙って聞き、指示に従うだけでは「納得感」は生まれないだろう。だけど、子どもたちに「主体性を持ち、物事に取り組みましょう!」と話し、子どもたちの主体性が発揮されるかと言うと、そんな簡単な話ではない。なぜなら、「主体性を発揮する」ということはリスクを負うということにもなるからだ。主体的に物事に取り組むということは、自分で行動を選択し、物事に取り組むことになる。そこでは、成功や失敗は当然ある。その結果を誰が責任を持ち、引き受けるのだろうか? それは、誰でもなく自分になる。なぜなら、自分がその行動を選択したのだから。つまり、「主体性を発揮する=結果のリスクを負う」と、言い換えることもできる。それは、子どもたちも理解しているだろう。だから、なかなか主体的に物事に取り組むことができない。

 以上のように考えていくと、「主体性を育てる」というのは少し違うのではないか、と感じる。子どもたちが元々持っている「主体性を発揮」できるようにすることこそが肝要ではないだろうか。つまり、「主体性を育てる」のではなく、「主体性を掘り起こす」ということ。であるならば、教室で用意できることは、「主体的に物事に取り組むことができる環境」となる。子どもたちが、トライ&エラーを認める・できる環境を。繰り返しになるが、そこでは子どもたちにすべてを預け、放任するわけではない。子どもたちの自己決定を尊重しながら、適切にフィードバックを行いたい。こうして子どもたちに「納得感」を持ってもらえるのではないだろうか。

必ずクラスがまとまる教師の成功術!

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学級集団づくりのゼロ段階―学級経営力を高めるQ‐U式学級集団づくり入門

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