「がんばります」より「がんばりました」を聞きたい(by三沢光晴)
僕たち教師は「がんばる」ということが大好きだ。教師だけでなく、多くの日本人は「がんばる」ということが大好きだ。スポーツ選手のインタビューを聞いていると、たいてい「がんばりますので、応援よろしくお願いします」で締められる。そんな言葉に僕たちは熱狂する。とにもかくにも、「がんばる」ということが大好きなのである。
このことは決して悪いことではない。だけど、「がんばる」という言葉を免罪符にしてしまっているのではないか、と感じている。とりあえず、がんばりさえすれば、結果はどうなってもよい、という思いがないだろうか。
これは学校という場ではよく見る。とにかく、子どもたちに「がんばる」と言わせるように追い込んでいく。そして、「がんばる」と言わせて満足する教師。だけど、がんばったわりには結果はイマイチ。繰り返しになるが、子どもたちに、がんばらせることは悪いことではない。
でも、無理矢理子どもたちをがんばらせることよりも、子どもたち自身が「がんばりました」と言えるようにしていくことの方が肝要なのではないだろうか。
そんなことをNOAHの創造主・三沢光晴の言葉から考えた。三沢光晴は、がんばるレスラーであった。自身の身をもって「がんばりました」を体現してくれたレスラーであった。「であった」と過去形で語らないといけないのは、やはり寂しいのだけど。
でも、今日だからこそ、この三沢光晴の言葉を噛みしめたい。僕も、「がんばります」ではなく「がんばりました」と言えるようにしていきたい。