小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

日米の比較

 日本で行われている教育についての情報は、全てではないが入ってくる。しかし、外国の教育の情報はなかなか入ってこない。自分から求めていかないとわからないことが多い。 そんな状況で赤木和重先生の『アメリカの教室に入ってみた』は貴重である。

 この本では、赤木先生が実際にアメリカのいくつかの学校に入った体験を紹介してくれている。読んでみるとわかるが、日本の学校では想像つかないような姿が紹介されている。だけど、これがアメリカでの普通なのだろうな、と思う。反対にアメリカの人たちが日本の学校を見ると、変だな、と思うのだろうな。

 この本の中で、赤木先生が日本のインクルーシブ教育とアメリカのインクルーシブ教育の違いについて言及している。その部分が、日本のインクルーシブ教育-特別支援教育ーの特徴を言い当てている。少し長くなりますが引用します。

日本のインクルーシブ教育を象徴するキーワードは2つあります

その1つは、sameness(同じ)です。

日本の場合、多様性とは言いつつも最終的には、「一緒・一斉」という「同じ」を象徴する枠組みの中で保育・教育が行われています。学年も同じ、カリキュラムも同じ、授業内容も同じ、という「一緒・一斉」という強固な枠組みの中で、障害のある子どもも、そうでない子と同じように学ぶことを目指しています。子どもの特性をふまえた上で、様々な工夫が行われることもありますが、そこに通底しているのは、「今、個の授業の中で、皆が一緒に学ぶにはどうしたらよいか」という問題意識です。そして、その「同じ」枠から外れた子どもは、「問題」のある子どもとしてとらえられます。

2つ目のキーワードは、relationship(つながり)です。

インクルーシブ教育を考えるうえで「つながり」を重視することは、当然のように思えます。自明のことすぎて、「つながらないインクルーシブなんてない」と思われるかもしれません。

しかし、これまで報告してきたように、〈つながり=インクルーシブ教育の必須条件〉とは言いきれません。少なくとも日本のような「つながり」を前提とする必要はないのです。

Mind your own businessを前提としたうえでの「つながり」と、友達との仲を優先する「つながり」とでは意味が異なります。日本の場合ややもすると、とにかく一緒の場にいるだけではダメで、かかわりあいながらでないと「よい」インクルーシブ教育とは言えないという雰囲気があります。下手をすると「つながり過剰」インクルーシブ教育になります。

  引用とは言いながらも、少し長くなるので割愛した部分もあります。是非、原典にあたり、この個所の記述を読んでもらいたい。

 「つながり過剰」のインクルーシブ教育。これについては、考えていかないといけないことだろう、と思う。もちろん、「つながり」があるとダメというわけではない。過剰というのが問題なのである。また、一つ目に挙げられている「同じ」ことについても考えていかないといけない。

 僕が掲げている「超・特別支援教育」。特別支援教育を超えていくためには、この二つのことを学校現場でクリアしていかないといけない。そんな示唆を与えてくれた。

 他にも「New Scool」についての具体的な描写もある。これは本当に知りたいことだったので、とても嬉しかった。

 これからのインクルーシブ教育ー特別支援教育-を考える上で必読の一冊である。まだの方は是非とも手に取ってみてください。

アメリカの教室に入ってみた: 貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで

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