二つ目の型は「ノートづくり型」のしくじり。
これは簡単に言うと美しいノートをつくらせようとする授業。
ノートは美しい方がいいのだろうか? 汚いよりは美しい方がいいだろう。でも、それよりも大切なことがある。それは、ノートにその子自身の考えや思ったことがかかれていること。これらをかき残すためにノートづくりをしていきたい。
だけど、そうはなっていないしくじり授業をけっこう見た。例を少し挙げてみる。
ノートにかく場所を細かく指定し、全員同じように書き切らせる。決して悪いばかりではない。授業開きをした時には、ノートのかき方を指導する。そうでもしないとぐちゃぐちゃなノートになってしまうから。でも、これをいつまでも続けていてもね…。
視写の授業かと思うぐらいノートに板書を写させる授業もあった。いや視写も大切だと思います、だけどそれは別の時間でやればいい。作図の手順を書き写したところで、作図ができるようになるわけでもない。目的がすり替わってしまっているように思えた。
他にも例はあるが、この辺りでやめておこう。
書いてみて思ったのだが、冒頭でも述べたように、やはりノートづくりは、その子自身の考えや思ったことをかき残すことを目的としたい。美しさはあくまでもプラスアルファかな。