前回の「チーム教師」で「コミュニケーションの副産物」と題し、
前回の記事から一部を引用する。
コミュニケーションが増えることによって、関係が密になっていく。そうなると、さらに気軽にコミュニケーションを図ることができ るようになる。そうしている内に、 自分たちだけのノリが生まれる。この話題なら〇〇先生、ここは〇 〇先生をいじっておこう、オチは〇〇 先生に任せよう等となっていく。大げさな言い方になるかもしれな いが、阿吽の呼吸ができるということだ。
このような状況が日常となると、どうなるだろうか?
こうなってくると、一人ひとりがどう振る舞うか、ということが決まってくるのではないだろうか。
チームがチームとして機能するには、チームを構成しているメンバーがどのように振る舞うか、ということがわかっていないといけない。ここが抜け落ちていると表面的にはチームとなっているように見えるかもしれないが、チームは機能しない。
また、どう振る舞うかということを個人に委ねるということも起こってしまいがちでもある。それで上手く振る舞うことができる者もいるだろうが、なかなか難しい。
だからこそ、コミュニケーションを図ることが必要だし、コミュニケーションが増えることが大切なのである。そうでもしないと、教師たちはチームになれないし、そのチームは機能しない。