教師の専門性
教師(支援者)は「教育(福祉)の専門的な知識、子どもに対する適切な支援の技術、保護者や同僚と良好な関係を築くコミュニケーション力等々、それこそ種々様々な知識や経験が求められる」のである。だから、教師に求められる「専門性」はズバリこれだ! とは決められない、ということを先に断わっておく。
しかし、だからと言って「正解がない」というところで思い留まっているのでは成長がない。今回は教師だからこそ必要ではないかと考えられる専門性を挙げてみたい。
教師にだからこそ求められる専門性は「集団の心に火を灯す」ことである。
授業に代表される「知識・技能」を伝達する能力が教師には最も求められる(世間は求めている?)のではないか、と思われたかもしれない。だが、塾・家庭教師と比べると教師はどうだろうか? 知識・技能を伝達するには個別指導より勝るものはない。教師対子ども、すなわち一人対複数ではどうしても非効率である。
また、eラーニングも盛んになり、反転授業という新たな指導法も考えられている程である。知識・技能の伝達を「いつでも、どこでも」できるeラーニングにはどうやっても勝てないであろう。今やアルプスでも勉強できるぐらいだしね(笑)。
だけど、学校は「同一発達の子どもたちを対象に(前提に)、同一の空間で、同一目標達成のために、同一内容を学習させる」ことができる場である。このことは、賛否両論ありながらも、当分崩れることはないであろう。つまり、教育では集団を相手にできるということである。
だから、先述したことが教師だからこそ求められる専門性なのである。それに、教育が、教師が集団を考えられない、考えていないのなら「本分」を外していると思っている。
集団の心に火を灯すとは?
では、「集団の心に火を灯す」とは、どういうことであろうか?
もう少し具体的に表現してみる。「集団の心に火を灯す」とは、「集団―子ども一人ひとり―の心に『やろう!』という火を灯すこと」である。
どの子も「やりたい!」という思いを持っている。だが、それを上手く表現できない子も少なくない。また、様々な要因により「やろう!」と思えない(思えないように振る舞っている)子もいる。そして、教師の悩みの八割程度がそういう子たちへの指導等についての悩みで占められている。
しかし、そういう子たちへ直接アプローチしても徒労に終わることが多い。そこで、「集団」なのである。集団の中には、どんな状況でも「やろう!」と思える子が一定数いる(二割程度)。その子たちに、語りかけ、呼びかけ、「やろう!」と思えない子を取り込んでもらう。そのためにも、リードする子どもの心に火を灯す言葉は何かを考え、語る。
そんなことをしていると、どうしても時間はかかる。だが最後の一人まで集団に取り込めた時、最高の集団に昇華するのである。
そして、子どもたちに、一度「やろう!」と心に火を灯すことが、あたかも「仕掛け花火」のように、他の場面にも「転移」していくものなのだ。そして、「聖火」のように、半永続的に燃え続けるものなのだ。
このように、集団にアプローチできるのは教師だけである。また、教師だけが子どもたちに接するうえで、意図的・計画的な営みを施しているということだ。この学校教育がもつ本質を侮ってはならないし、教師自身が見くびってはいけない。
だからこそ、教師に求められる専門性は「集団の心に火を灯す」ことなのである。
参考・引用文献
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