小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

教師が邪魔になっていないか?

 今年度も多くの授業を参観した。最近、参観する授業は次期学習指導要領の理念である「主体的・対話的で深い学び」を意識されているものが多い。だから、子どもたちが「学び合う」場面というのが設定されていることが多い。「学び合い」場面があるというのはよいことだな、と思っている。

 だけど、子どもたちが「学び合う」場面での教師の振る舞いが気になる。参観した授業では、教師がよく机間巡視をし、子どもたちに声をかけていた。時には、停滞しているのかわからないが、指導している姿もあった。これって本当に必要なのでしょうか?

 子どもたちが「学び合う」、そこへ教師が入っていく。そうすると、だいたい「学び合い」は崩れていた。教師の話を聞くという時間になっていたり、子ども数人と教師の「学び合い」(「教え合い」)が始まり、そこから弾き出される子どもが出ていた。

 こうなってくると、教師は邪魔以外の何物でもない、と思いませんか。教師の善意ではあると思うが、その振る舞いが子どもたちの「学び合い」を阻害している。この意識を教師はもち合わせないといけないのではないだろうか。子どもたちの「学び合い」を阻害している、と自覚しながら入っていかないといけないのではないだろうか。

 教師は、子どもたちが「学び合い」をしている時、手も口も出すことなく待つということをしないといけないのではないだろうか。教師にはこの構えが足りていない。少しくらい停滞している、盛り上がっていない、真面目にやっていないように見えても子どもたちに任せてみる。そして、「学び合い」を価値づける。この繰り返しで、子どもたちの「学び合い」が徐々に機能していくようになるのではないだろうか。

 だから、教師が「学び合い」の邪魔になっているかもしれないことを自覚し、子どもたちのより良い姿を待つことが大切になるだろう。人の振り見て我が振り直せではないが、自分が授業をする時には気をつけよう。