小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

オレがどんなレスラーになるかっていうのはね、 オレが決めることじゃなくて、 見てるお客さんがイメージ膨らませて、 試合を通じて決めることだし

オレがどんなレスラーになるかっていうのはね、 オレが決めることじゃなくて、 見てるお客さんがイメージ膨らませて、 試合を通じて決めることだし(byケンドーカシン)

 

 教育を受けた経験がない人はほとんどいないだろう。だから、その人なりに理想の教師像なるものがあるはずだ。理想とは言わなくても、こんな教師が印象に残っているな、というものぐらいあるだろう。

 でも、すいません、まずはそれを横に置いてください。いや、決して持っているのが悪いわけではない。だけど、それに縛られてしまってはいけない。

 ここでカシンの言葉を思い出してみよう。「オレがどんなレスラーになるかっていうのはね、 オレが決めることじゃなくて」。つまり、自分がこのような教師になりたい、と思っても、それを決めるのは自分ではないということ。

 では、誰が決めるのだろうか。カシンの言葉の続きを見てみよう。「見てるお客さんがイメージ膨らませて、 試合を通じて決めることだし」。つまり、自分がどのような教師であるかを決めるのは、教師を見ている子どもたちだということ。

 そうなのだ、自分がこんな教師になりたい、と思っているのが重要ではない。それよりも、子どもたちにとってどんな教師に見えているかというのが重要なのである。その子どもたちの見え方が自分の教師像を規定するのだ。

 繰り返しになるが、どんな教師になりたいかというのはあっていい。ただ、どうしたらそのように見られるか、ということも考えないといけない。それがプロフェッショナルということかもしれない。