小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

支流での気づき⑤「最大公約数を取る」

 支流での気づきを第五弾です。過去記事は以下を参照してください。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

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  今年度は、T2をすることがあるし、学級担任をしていない。だから、学級担任を客観的な位置から見ることができている。見ていると、今回のタイトルにしている通りのことを感じた。学級担任は、「最大公約数を取ることを優先する」ということを。

 最大公約数を取る、というのは一体どういうことか。そう疑問を抱かれただろうか。簡単に言うなら、学級で多くの子どもたちが納得する事を優先する、ということである。少しはわかりやすくなっただろうか。
 具体例を挙げてみる。
 算数の授業で問題を提示する。そして、個人思考の時間を取る。だいたいの子の考えがまとまるだろう、と時間を五分間とする。五分が経過する。そこで、教師は「時間なので終わりましょう」と、指示する。この時、全員の子の考えがまとまっているのなら何も問題はない。
 しかし、なかなかそうはいかない。まだ数人は考えがまとまっていない様子である。ここで心ある教師は、「あともう少し待ちます」と、時間を延長する。延長した時間が経過する。そこで、再び「時間なので終わりましょう」と、指示する。この時、全員の子の考えがまとまっているのなら何も問題はない。
 だけれど、やはりなかなかそうはいかない。まだ数人は考えがまとまっていない。ここでさらに「あともう少し待ちます」と、指示する教師はあまりいない(もちろん状況次第なので、あり得ないわかではありません)。
 なぜだろうか。それは、考えがまとまっていない子を待ち続けている間、すでに考えがまとまっている子をほったらかしにしてしまうからだ。ただただほったらかしにしているわけではない。机間巡視をして評価する等している。だけど、それにも限界がある。
 考えがまとまっていない子に時間を与えたい。考えがまとまっている子の学びを止めたくない。二つの方向性が浮かぶ。だけど、どちらかしか取ることはできない。そうなると、間を取るような感じで、最大公約数を取ることになる。どちらにも配慮しつつ、でも多くの子どもたちが納得する事を優先する。これが多くの学級担任の思考の流れである。 
 もちろん、僕だってT1をしたり、学級担任をしていた頃は、このような考えで授業や学級運営を進めていた。だから、最大公約数を取るということが、よくないこととは思っていない。むしろ、最大公約数を取るということに集中すべきだ、と思っている。
 だけど、学級担任を客観的な位置から見ていると、だからこそ苦しんでいる所も見えている。それは、学級担任もそうだし、子どもたちも。だから、少しでも個別化できないかな、と考えている。個別化できれば、最大公約数を取るという必要があまり意味をなさないようになるはずだ。そんなことを考えながら、学級担任を客観的な位置から見ている。