ご多聞に漏れず、僕の自治体も臨時休校を行っている。いろいろと報道されているようにバタバタした中で行われたことである。まあ、これは仕方のないことだろう、とも思っている。
今は時間が経ち、少し落ち着いてきているような気がしている。ある意味、楽観的にいられている。だけど、僕たち学校現場にいる者は、あの日あの時のことを覚えておかないといけないのではないか、と感じている。書き残しておかないときっと忘れてしまうので、ブログの記事として書き残していくことにする。何回になるかわからないが、どうぞお付き合いください。
臨時休校の要請を知ったのは、2月27日の20時頃だったように覚えている。この日の放課後にそれこそ臨時で職員会議をしていた。そこで話し合ったことはほぼ無駄になるな、とすぐに思った(笑)。そして、「ああ明日は慌ただしいだろうな」とも思った。
僕は今年度算数専科なので学級担任をしていない。だから、「僕の時間を学級担任に渡そう」とも思った。きっと学級担任は一時間でも多く、自分の学級での時間が欲しい、と思うだろう。だから、僕の時間はいらない。案の定、次の日学級担任たちに話してみると、全員から「いいの! ありがとう!」と、感謝された(笑)。いいんですよ。あと一時間授業をしないからと言って大きな支障はありません。
ということで、一日丸々体が空いた。だから、あちこち動き回った。教室の掲示物を外す、廊下等の掲示物を外す、急遽学校から出されることになったプリントを印刷する等、できる限りのことした。
つまり、自分が思いつく限り、進んで行動した。もちろん、必要な時には必要な人の確認を取ったが。だけど、こんな時だから確認も簡単なものであったが。
今回のような有事の状況になると、どうしても行動が止まってしまいがちである。「ここはどうしたらいいの」「次は何をしたらいいの」と、指示待ちになる。もちろん、勝手に突っ走ってしまうのはよくない。だけど、こういう時には誰も正解を持っていないのではないか。だからこそ、そこでのベターを考え、進んで行動することが大切になろう。なかなか動けず職員室で固まっている者、教室でいつもより子どもを急き立てている者を見た。きっとどこかから来るであろう正解を期待していたのだろう。そんな正解は来ないのにも関わらず。
次期学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」がキーワードになる。子どもたちに求める前に、教師が主体的になろうとしないといけない。そんな思いを強く抱いた。