小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

臨時休校の学校現場⑥「教師・学校論理に陥る」

 臨時休校にも慣れ、時間に余裕ができ、心に余裕ができてきた。そのおかげで、職員室がよい雰囲気になっていった。

 というのを前回書いた。今回はその続き。
 職員室がよい雰囲気になり、コミュニケーションが増えた。そうなると、いろいろと話すことになる。そこで聞こえてきたのが教師の論理、学校の論理にまみれた会話だった。
 「親が子どもの話をしっかり聞いてあげないといけないよね」「そうじゃないから、友達を囲もうとして、立場が悪くなっていくのよね」と。
 「全然、給食食べないんですよ」「家でもお菓子やインスタント食品ばかりなのやろうね」「そういう子はだいたい何をやってもしんどい」と。
 まだまだあるけど、この辺にしておこう。
 僕は愚痴を言うことを悪いとは思っていない。僕だって言いたくなるし、きっと言ってしまっていることがあるから。まあ、職員室で一息つき、愚痴の一つや二つこぼすことができる方が健全な職場である、と思う。
 だけど、愚痴を言っていることを善いとは思っていない。なぜなら、愚痴を言っていることで自分の言動を省みなくなってしまうかもしれないからだ。僕はそれが怖い。
 愚痴を言って傷のなめ合いをする。その時はきっと気分がすっきりする。でも、愚痴が生まれる原因になったことが改善されたわけではない。もちろん、改善の余地がないものだってあるだろう。だけど、全てがそうではないし、きっと自分自身が原因のものだってあるはずだ。だとすると、自分自身の言動を省みないといけないのに、そのことを避けてしまう。
 こんなことにはなりたくない。だから、僕は教師・学校論理に陥り、愚痴っぽくなってしまうことに恐れているのである。
 「先生と、呼ばれるほどの、馬鹿でなし」。この諺に表されるようなことになっていないか。そのことは絶えず考えていかないといけない。そんな思いを強くいだくこととなった。
 
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