職員室での話を聞いていると、次のようなものが聞こえてきた。
「隙を与えると時間ができる、そうすると(子どもが) 遊んじゃうから隙を与えない!」と。
このことは、かつて向山洋一が『授業の腕をあげる法則』の中で、 「空白禁止の原則」として提案されたことである。
僕も職員室で聞こえてきた声や向山の提案に、おおむね賛成する。でも、空白の時間を全て排除できる、とは思っていない。もちろん、空白の時間をなるべく排除することは考える。しかし、常に空白の時間を排除し、子どもたちに指示を与え、子どもたちが考えずとも動くことができるようにすることが、子どもたちの育ちにつながるのだろうか。そんな課題意識のようなものを持っている。
だから、学年や学級の実態に応じて、子どもたち自身に空白の時間を意識させ自ら動くことができるように指導していきたい。そうすることで、空白の時間を排除することと子どもたちの育ちを両立させることができるのではないだろうか。
また、時間があると遊んでしまう、というのは教師にとっても当てはまるのではないだろうか。
臨時休校になり、図らずも時間ができた。職員室にいる時間が長くなった。そこで何をしてただろうか?
特に用もあるわけでもないのに学校にいる、教師・学校論理にまみれた会話をする等。教師たちも遊んでしまっている。「忙しい、忙しい」と言っている時の方が断然遊びが少なかった(もちろん、全く遊びがないというのもよくないのかもしれないが)。遊んでしまっていては、時間が死んでいる。教師も子どもたちと同じように空白の時間を意識する必要があるだろう。
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