小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

臨時休校の学校現場⑪「なくても平気なもの②」

 前回の続きとして、今回も「学校からなくなっても平気なもの」を考えてみる。

 なくなって平気なものは、授業をすること。子どもたちがいないので、もちろん授業をすることはない。でも、授業をしたくない、というわけでもない。子どもたちに伝えたいことや教えたいな、と思うことがないわけではない。だけど、いても立ってもいられない程でもなければ、我慢ならないことでもない。
 僕が小学校の教師だから、このように思えているのかもしれない。小学校の教師たちは、子どもたちに授業をしたい、という強い思いを持ち教師になった人は多くはないだろう(これはあくまでも主観です、ちなみに僕はそうです)。教師なのだから授業をするということは、確かに教師がすることの中に当たり前のように入ってはいた。
 でも、やっぱり授業が一番上には来ていなかった。それよりも、子どもたちに関わることがしたい、という思いが強かった。だから、臨時休校の間、授業をしないということは平気であった。その代わりと言うわけではないが、学校に子どもたちの姿や声がないというのは辛いことであった。
 ここから考えたことは、授業は上に積み上げるものだということ。子どもという土台がなければ授業をすることができない。土台がないのに荷物を乗せられないように。子どもたちが学校に来てくれるから授業をし、教師をすることができていたというのとは、やはり忘れてはいけない。
 結局、同じところに考えが戻ってきているように感じている。やっぱり、学校は子どもありきなのだ。もちろん、教師自身のことについて(働き方等)考えることも必要ではあるが。でも、それは贅沢な悩み、と言えるのだろうな。
 
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