小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

臨時休校の学校現場⑮「有事という感覚の欠如」

 新型コロナウイルスにより臨時休校になり、ずいぶんの時間が経ちました。月末で3か月になります。3か月というとなかなか長い時間が経過する。

 初めの頃は戸惑いながら時間を過ごしていた。職員室もいつもと違う雰囲気のように感じていた。でも、三か月という長い時間が、それが普段の雰囲気かのように感じさせるようになってきている。そう僕は感じている。つまり、有事である現在の状況が平時のようになってしまっている、ということである。
 もう少し具体的で身近な例を挙げてみる。
 現在の学校は忙しないという状況ではない。長期休暇の時のように、仕事が全くないわけではないけど、押し迫ったものは多くない。こんな状況である。簡単に言えば、時間があるということ。
 時間があるということは、余裕が生まれる。だから、思いついたことやする方がよさそうなことを実行に移す様子がよく見られるようになる。時間を有効に使おう、と意識されていることは悪いことではない。
 ただ、思いついたことやする方がよさそうなことを実行に移しているが、それは持続可能なものなのだろうか、という懸念がある。平時になり、かつてのような忙しない毎日が戻ってくる。その時にもできることなのだろうか。
 いや、できるのならいいのですよ。でも、できなかったらどうだろうか。同僚の教師だと理解はしてくれるだろう。子どもたちや保護者はどうだろうか。あの時はしてくれたのに、と思わないだろうか。
 忘れてはいけないことは、現在が有事だということ。決して平時ではない。そのことを念頭に置いておかなければならない。そうでもしないと、自分で自分の首を絞めることになりかねない。
 ちょっと空いた時間ができるなら、年休を取って休めばいい、と思う。夏休みだって冬休みだって春休みだって、少なくならない保証はないのだから。休める時に休んでおけばいいのではないだろうか。
 とにもかくにも、現在が有事であるということを忘れずにいたいものだ。
 
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