小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

腹を割って話そう

 みなさんは「水曜どうでしょう」という番組を知っていますか? いや、知らないのですか!? とりあえず観た方がいいですよ!

 と、このように言ってしまうぐらいの「水曜どうでしょう」ファンである。先日まで新作が放送されていた。それも楽しく観させてもらった。新作から観た人にとっては面白さは伝わったのかな、と思いながらも。

 新作を観たこともあり、何度目かわからいが自分の中での「水曜どうでしょう」熱なるものが高まっている。そこで、藤村・嬉野両ディレクターが対談した本を読んでみた。それが『腹を割って話した』と『腹を割って話した(未知との遭遇)』である。

 ファンとしては二人が対談しているものを見ることができるだけで嬉しい。二人が腹を割って話している中で気になる記述がいくつかあったので、それを紹介する。

 まずは『腹を割って話した』から。

みんな「温泉」につかろうっていう発想が無いんだよね。気持ちよくもなんともないところに、わざわざ行こうとしている。

そういう人は「温泉」につかって「あ―、気持ちいいなあ~」っていう経験がたぶん無いから――

仕事を気持ちいい「温泉」にしようって考えたことが無い。

その『どうでしょう』を、なんで視聴者がおもしろがってくれるかというのは――俺もどっちかっていうと、立場は半分、視聴者だと思ってるからね、なんとなくわかるような気がするんだけど、やっぱりラクなんだと思うんだよね……。『どうでしょう』っていう世界は、眺めていてラクになるんですよ。私も作りながら、ラクになるわけですよ。

  次に『腹を割って話した(未知との遭遇)』から。

きっと、大きな物語とか大きなイベントとかは、人を日常から引きはがしてしまうものなんだよね。強い刺激のような、ショックのような。だからそれが弾みになったり、何かのきっかけになったりする。でも日常を失くして、イベント一色になって、のべつ幕無しに弾んでばかりいたら、おれらの中身は空っぽになるだけっていう感じはする。

だから、『どうでしょう』がこんなに見られているっていうのは、われわれがそうした社会人としての約束事に捕らわれずに、抑圧されずに人生を遊んでいる、つまり生きているっていう状態を現場で実現している、今や稀有なバラエティ番組で、だからついつい見ちゃう――っていう。

  いかがだろうか。この引用だけでは少し意味がわかりにくいものがあるのではないだろうか。それは今回紹介した本を読み、是非とも「水曜どうでしょう」を観てほしい。

 あと、「水曜どうでしょう」で感じたことを教育に援用しながら教育論を語るということができるのではないか、と考えている(笑)。僕としてはけっこう真面目に。また形になったらブログでアップしようと思う。

腹を割って話した

腹を割って話した

 
腹を割って話した(未知との遭遇)

腹を割って話した(未知との遭遇)