プロレスにおけるキャラクターは、その人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない(by TAJIRI)
TAJIRIは、僕がWWEを見始めた頃にSmackDown!のクルーザー級の主力の一人であった。ヒールとしていることが多かったので、日本人レスラーでありながらあまり好きではなかった。それなら、同じくSmackDown!で活躍していたFUNAKIの方が好きだった。
そんな僕としては馴染みのあるTAJIRIが本を出した。ということで、早速手に取り読んでみた。これがすごく面白かった。思わずプロレスファンの同志におすすめしたぐらい(笑)。その書評も書いているので、よければ読んでみてください。
kyousituchallenge.hatenablog.jp
そんなTAJIRIの言葉から考えることがたくさんあった。そこで、何回かに分け、TAJIRIの言葉を紹介しつつ、考えたことを書いていくことにします。
今回、紹介するのが記事のタイトルにもなっている「プロレスにおけるキャラクターは、その人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない」というもの。
この言葉の「プロレス」という所を「教師」と変えて読んでもらいたい。つまり、「教師におけるキャラクターは、その人がもともと持っている資質を活かしたものでないとうまくいかない」ということ。
教師は誰しも「理想の教師像」なるものを持っているものだ。そして、どこかにあるその理想の教師像に向かい、歩み続けている。だけど、それはいつになっても到達することができない。なぜなら、それは理想だから。
僕は理想の教師像を持つことは悪いことではない、と思っている。理想の教師像を持つということは、「こうなりたい」「これができるようになりたい」という目標につながるから。でも、理想の教師像に向かうことよりも、自分が持っているキャラクターに合った教師像に向かう方がよい、と思っている。
そのためには、自分を客観視する作業が必要になる。これがけっこうしんどい。その過程では、自分では認めたくないキャラクターだって認めないといけなくなるから。それは痛いほど理解できる。
だけど、自分が持っているキャラクターから出発しないと上手くいかない。そんなことをTAJIRIの言葉から考えた。だから、まずは自分を客観視するという作業をする。そして、その自分のキャラクターを受け入れ、それを活かす方法を考える。このようなプロセスを教師だって経ないといけないのではないだろうか。