小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

今こそ読むべき!

 新型コロナウイルスの猛威が少しずつではあるが収まってきている。もちろん、まだまだ楽観視できない。そうは言いながらも、学校は再開しつつある。コロナショックを受けた学校現場はこれからどのようになっていくのだろうか。そんなことを考えるのにぴったりな一冊が発刊された。

 この時期に雑誌ではなく、書籍という形でまとめられたのは素晴らしいことである。また、執筆陣が豪華。こんなメンツがよく集まったな、という感想を持った。

 さて、いくつもの論考を読んだ。その中から僕の目に留まったものをいくつか紹介する。

 名古屋大学准教授の内田良先生の論考から。

一斉休校によって顕在化した、学校教育の土台にある重大な機能とは、すなわち子どもが大人(教職員)に見守られているということである。

学校という場は「福祉」的な側面を多分に有している。授業をはじめとする各種活動の以前に、そもそも子どもが大人の庇護のもとで、日中を安全に過ごすことができる。

  内田先生の記述のようなことを僕も感じていた。それを言語化してくれている、と感じた。学校という場があることのありがたさというものは確かにある、ということを休校中に感じた。なくなって気づくものがあるのだよね。

 立教大学教授の中原淳先生の論考から。

緊急事態が解除されれば、オンライン授業の経験は「なかったかのように」忘れ去られるだろうか。何事もなかったかのように、大学は「数百人を集めて行う元の一斉授業」を行うのか。それは「否」であるとわたしは思う。

なぜなら、今、人々の間で最も関心が集まっているのは「コストをかけてでも、対面で、人が集い、出合うことの意味だから」だ。そこに明らかなメリットが感じられない限り、「わざわざ通わなくても、オンラインで学べばいいじゃないか」ということになる。

  先ほどの内田先生の記述のところで書いたのだが、学校という場のありがたさは確かにある。でも、だからと言って学校という場がこれまで通りの在り方でいいかは考えないといけない。「わざわざ通わなくても、オンラインで学べばいいじゃないか」という考えはこれまで以上に増えるだろう。そこで、学校として魅力的なものを提示できるようにしたい。つまり、改めて学校という場の魅力の再検討を行い、変化させるべきところは変化させないといけない、ということだ。

 まだまだ紹介したいものはあるのだが、どんどん長くなってしまうのでこの辺にしておく。是非手に取り、一読をおすすめする。

 どの論考にも共通していたことは、新型コロナウイルスにより変わった学校や授業や教師という存在を前向きに捉えようとしていること。端的に言うと、よい変化のきっかけとしようとしているということ。

 ただただショックを受け、立ちすくんでいるわけではなかった。そこからささやかながら一歩を踏み出そうとしていることが伝わってきた。そんな姿に勇気をもらった。

 僕も小さな教室からの挑戦を改めてしていきたい、と強く思った。