小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

面倒くさくて、無駄なもの

今週のお題「もしもの備え」

 

 台風10号が猛威を奮う、と先日から多くの報道がされている。みなさん気をつけましょう。何だか意図せずタイムリーなお題となった。

 でも、期待しないでください(こんなこと言わなくとも誰も期待していないか?)。いつものようにゆるい内容です。防災の情報を得たい、と思われて記事を見てくださった方には申し訳ないです。特に得られる内容ではありません。ご了承ください(笑)。

 「天災に備える」ということはどこでも耳にすることである。天災だけでなく、どのような不測の事態でも「備えておく」ということが基本の姿勢なのであろう。

 僕もかれこれ何年がかりになったかわからないが、少し前にそれなりの備えを用意することができた。何年がかりになってしまったのは、単に腰が重かっただけである…。何とも情けない話である。だけど、このような人も世の中にはけっこういるのではないだろうか、と思っている。

 さて、どうしてもしもの備えを用意するには時間がかかってしまうのだろうか。それは、「もしも」だからこそ時間がかかり、腰が重くなってしまうのではないか、と考えている。

 「もしも」ということは、仮定の話である。だから、必ずしも起こるわけでもないし、必要があるわけでもない、と考えてしまう。もちろん、ここには個人差がある。でも、このような思考の流れになってしまうのは容易に考えられる。さらに言うと、「もしも」だから、面倒くさい、無駄になるだろう、という思いもあるのではないだろうか。

 このように考えると、「もしも」という仮定の話では、なかなか動くことができないということが理解できるだろう。だけど、このような楽観的な考えではいけないのは間違いない。

 「もしもの備え」は、面倒くさいものだし、無駄になっていいものなのだ、ということ。備えを用意するというのは、日常生活とは別に用意することになるのだから、当然面倒くさいものなのだ。用意したものの中には、賞味期限等の期限付きのものもある。だから、交換を必要とする時もある。つまり、面倒くさいものなのだ。そして、用意しておいて矛盾するようなのだが、使わずに無駄になった方がいいのである。使わず無駄になるということは、何も起こらず平和だということなのだから。

 まとめると、「もしもの備え」というものは、面倒くさくて、無駄なものなのである。というか、そうあってほしいものでもある。これが楽なもので、ガンガン使うものであっては困る。

 ということで、「もしもの備え」を用意するなんて、面倒くさくて、無駄なものだよな、と感じているあなた。それは確かにそうです。でも、その「もしもの備え」が身を助けてくれることがあるかもしれません。今日でなくていいですが、なるべく早く備えましょう。これは自戒を込めながら、声を大にして言っておきます。