小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

教育YouTuberを通して考える学校教育

 先日の「情熱大陸」で教育YouTuberの葉一さんが取り上げられた。教育YouTuberという存在は想像していたが、目の当たりにするのは初めてであった。そして、葉一さんの考えに触れることで、教育現場にいる者として考えることがあった。そのことを今回は記事にしたい。葉一さんが取り上げられた「情熱大陸」の感想のようなものを記事にしているので、よければご覧ください。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

  教育YouTuberと学校教育との違いについて考えた。大きな違いは二つある。

 一つは、具体的な子どもと対面しているかということ。

 教育YouTuberは、具体的な子どもと対面していない。葉一さんが番組の中で語っていたように「勉強が苦手な子」向けに動画を作っている。ターゲットはあるが、それは最大公約数的なものであり、具体的な誰かを想定したものではない。YouTubでは動画にコメントすることができるので、特定の個人とのやり取りができないわけではない。そのやり取りをより具体的にするため個人情報を開示していくこともできなくはない。しかし、それはかなり稀であろう。

 学校教育では、具体的な子どもと対面している。というか、対面しないで学校教育はできない。オンライン授業も盛んになってきていて、対面しなくてもよくなっている。そういう意味の対面ではなく、互いが名前等の固有の情報なしで対面することはない、という意味である。つまり、学校教育は固有の情報を互いに交換し、成立していることとなる。

 二つは、授業以外のことを行っているかということ。

 教育YouTuberは、授業をするのが大きな仕事である。他の仕事として、個別の相談に乗っているかもしれない。もちろん、動画編集等も仕事である。これらのことは、授業についてというのがほとんどであろう。というよりも、授業のことしかほとんどできない、と言った方がいいだろうか。

 学校教育では、授業以外のことをしている。というか、授業も大事ではあるが、その他のことだって同じように大事なことがある。学級経営、保護者対応、校内での仕事等々。この部分が大きくなりすぎ、多忙化につながっているという課題はある。であるが、考えなしに手放せるところではないのも事実である。

 いかがであっただろうか。教育YouTuberと学校教育を比べ、その違いについての考察を書き綴ってみた。これは互いの相違点を挙げたのであって、どちらが優れているとかそういうことを述べたいためではない。僕としては教育YouTuberを通し、学校教育の特徴のようなものを考えつもりである。

 もしよろしければ、ご意見いただければ幸いです。