小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

広瀬友紀×小野健太郎「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?――子どもと算数の世界を探る。」

 先日、本屋B&Bが開催した、《広瀬友紀×小野健太郎「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?――子どもと算数の世界を探る。」『ことばと算数』(岩波書店)『オーセンティックな算数の学び』(東洋館出版社)W刊行記念》に参加した。そこで考えたことや感想を書いてみる。

 一つは、オーセンティックな学習を構想することの必要性。オーセンティックな学びというのは学習指導要領改訂ぐらいからよく耳にするようになった。しかし、オーセンティックとなると生活に即したものという捉えがあった。

 例えば、玉子が安売りしています、10個入り100円のものと8個入り96円のものどちらがお得ですか、という問題を提示する。計算すると1個あたり10円と1個あたり12円となるので10個入りの玉子がお得だと考えられる。ここで生活に即して考えると10個入りの方がお得だが多いので食べきれない、賞味期限が長い方を買いたい等の、個別の事情が差し込まれることになる。そうなるとなかなか収拾をつけるのは難しいし、学習事項を教えるというには邪魔になりかねない、と思っていた。

 これはあながち間違ってはいないが、オーセンティックを排除し算数の問題として取り組ませることだけでは、子どもたちが学びを自分の方へと引きつけられないことが考えさせられた。そうしていると、算数の学びは深まるが、それを生活場面には使えない。切り離された学習になってしまう。これは算数だけでなく多くの教科における課題ではあるが、算数はそれが顕著ではないだろうか。

 よって、フィクションの問題を取り扱いつつオーセンティックに迫る子どもの姿があれば排除してはいけないだろう、と強く思った。また、ときにはオーセンティックに入り、フィクションに戻るようなことを意識的につくりだしていかないといけないのではないだろうか。

 二つは、言葉の意味をどのように解釈するかということに意識を向けるということ。このイベントのタイトルにある「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?」にもつながることである。

 ワークシートに「筆者の工夫はありますか」と書かれている。ある程度の空白が用意されている。こうなっていると、筆者の工夫について何かしら文章で書くことが期待されていることはわかる。ここで「あります」だけ答えるのは、わかるけど違うだろうということになる。これはイベントでも例として挙げられていた。

 このように、伝えたい意図や意味を理解できるのは当たり前と捉えないということが大切になるということ。言葉は言外にさまざまな意味を持たせている。特に教師は気づいてほしい、わかってほしいと子どもに期待しがちではある。多くの子どもは理解していくのだと思うが、もしかするとそこで引っかかり進めない子どもがいるのかもしれない。かもしれないという判断の保留のようなスペース的な考えは、子どもたちの学びを見ていくときには必要だろう。算数だけはないが文章問題の課題として、「結局国語力の問題だよね」となることがある。大雑把に言うとそうではあるかもしれないが、もう少しそこへとアプローチする手立てを考えないといけないだろう。

 講師お二人の著書も読んで自分自身の学びを深めていきたいな、と強く思ったイベントであった。