小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

表裏一体

 子どもたちのさまざまな場面での言動を価値づけるということを意識している。こちらから教える指導するというだけでなく、子どもが持っているものや秘めているものを引き出しているイメージである。

 そんな価値づけについてもう少し考えてみる。

 例えば、「授業では教師や友達の話を聴き、学ぶ」と、指導します。しかし、子どもたちにとっては他の選択肢もあります。「騒いで話を聴かない」「授業は面倒だから、参加しない」等。だが、そういう道は無いかのように、「授業では教師や友達の話を聴き、学ぶ」ということを価値づけ、子どもたちをそちらに向かって進ませます。

 いや、けっして「授業では教師や友達の話を聴き、学ぶ」と、指導することは間違っていないと思います。教師としては当然の指導だとも思っています。だけど、残念ながら「洗脳」という側面を全面的に否定できないとも思っています。

 北海道の堀裕嗣先生も著書の中で、以下のように述べています。

一人の担任が行う教育というものは、いかに優れた教師、視野の広い教師が行ったとしても、学級経営が成功すれば、そこには「洗脳」の側面があるのではないか

(『学級づくりの深層』多賀一郎、堀裕嗣・黎明書房・2015/11/20・p64)

 こう考えていくと、僕がしている価値づけは「洗脳」という側面がある。残念ながら…。

 しかし、だからと言って、あきらめて「価値づける」ことを止めてしまう、というのも違うと思っています。

 とりあえず、「価値づける」ことには、自分なりに意図を持って行っているが、「洗脳」という側面がある。

 今回は、一先ずここまでということで。いかがでしょうか?