小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

一人でこなさなきゃ

 僕がとらわれていた「しなきゃ」ということは、一人でこなさなきゃということ。もう少し具体的に言うと、一人で学級を運営しないといけないということ。

 教師という仕事は、初任から学級担任をすることが一般的である。もちろん、校種や地域差はあると思うが、おおむねその通りになっている。つまり、いきなり一国一城の主となれるというわけだ。このことに対して賛否両論はあると思うが、今回はそれは置いておく。

 いきなり一国一城の主となれた僕はその大変さに気づかずに、その状況に身を投じていく。例えば、学級で行うことの多くを自分が決めないといけなくなる、授業の進度を調整していかないといけなくなる、等々。学年や学校には複数の学級があるので、誰かに相談することはできる。しかし、担任している学級に対しての一番の責任を感じるのはやはり担任である。よって、相談はしつつも自分が担任している学級でのことは自分が動かないといけない、ということを当たり前のように思っていく。

 また、学級ではさまざまなトラブルというかハプニングが巻き起こる。これは決してネガティブなことだけではなく、多くの子どもが友に生活するから当然のことでもある。そのトラブルやハプニングに対処する最前線にいるのがその学級担任となる。

 これらのことを繰り返していると、冒頭で述べたように一人でこなさなきゃいけないという思いが強くなっていった。しかし、一人でこなさなきゃいかないという思いとは裏腹に一人では何ともならない日々が続いた。

 ある日、もう無理だ大変だという思いでいっぱいになった時が来ることとなる。それは周囲にも漏れ伝わってしまうぐらいであったようだ。そこで、同僚の教師から声を掛けられた。詳しくはもう覚えていないが、おおむね「あなただけの責任ではないよ、いつかわかってくれる時が来るよ」のような毒にも薬にもならないような言葉ではあった。

 この毒にも薬にもならないような言葉は、僕にとっては毒なのか薬なのかはわからないが刺さる言葉であった。一人でこなさなきゃという思いにとらわれていた僕は、誰かに頼ってもいいんだきっと誰かが助けになってくれるだろうという思いを抱いた。これは僕にとって大きな気づきであった。

 そこからは何か大変なことが起これば、少しずつ他者に頼るようになっていく。頼ったからと言って事態が大きく改善されることはまあないのであるが、それでも救われる実感はあった。現在ではすぐに頼るのでそれはどうだろうか、と自問自答することもあるが(笑)。

 このような機会にとらわれていた思いについて振り返ってみたが、どうしてそんな思いにとらわれていたのか、と理解に苦しむ自分がいる。それだけとらわれて、見え方や考え方が狭まっていたのだ、と現在の自分は思っている。

 今回、自分がとらわれていた思いを振り返ることで、新たな思いに気づくことができたように思う。