小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

価値づける≒褒めること?

 価値づけるということに考えている。それを記事にしてみなさんに、僕はこう考えているのですがどうですか、と投げかけている。まあ、勝手に投げているだけなので誰かが受け取ってくれているのなら嬉しい。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

 さて、価値づけるということを考えていると、価値づけるということは褒めることということだろうか、と疑問に思った。価値づけるよりは褒めるという言葉の方が一般的には使われることも多いだろう。そこで、価値づけることと褒めることについて考えてみる。

 結論から言うと「『価値づける』と『褒めること』は似ている行為ではあると思うが、全く同じ行為だとは思わない」というのが、僕の考えです。

 例えば、「自分の考えをいつもよりたくさん書くことができた子がいる」という場面。この場面で、「○○くん、たくさん書くことができているね。いいね~」等と声をかけ、褒めます。これは、その子に対して褒めている、ということを伝えたくてしている行為である。もちろん、その褒めている行為を見ている周りの子にも影響がある。しかし、これは副次的な効果であり、あくまでも褒めるはその子に伝えている行為だ、と考える。

 つまり、「褒めること」は褒める子だけで完結する行為だ、と言える。その子の中で「伸びたか、伸びていないか」を見取って褒める。その子だけのことを考え、完結するということとなる。

 次は「価値づける」場面を考えてみる。先程と同じ「自分の考えをいつもよりたくさん書くことができた子がいる」という場面。この場面で、「○○くん、たくさん書くことができているね」等と声をかけます。これは前例と同じとなります。それに加え、「最後まであきらめずに取り組むということはいいね~」等と声をかけ、価値づける。これは、学級全体に価値ある行為について伝えたくてしている行為である。もちろん、その子を褒めるという行為でもある。

 つまり、「価値づける」は褒める子だけで完結する行為ではなく、学級集団をも意識している行為だ、と考える。

 まとめると、「『褒めること』は、褒める子だけで完結する行為。『価値づける』は褒める子だけで完結する行為ではなく、学級集団をも意識している行為」となります。「褒めること」は具体的に伝える行為、「価値づける」は抽象的に伝える行為、だとも言い換えられるのではないでしょうか。

 よって、「『価値づける』と『褒めること』は似ている行為ではあると思うが、全く同じ行為だとは思わない」ということとなる。

 今回の考えはどう思われたでしょうか?