小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

飯田朔×小山美砂「“自分軸の人生”から“おりない”ために」『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(集英社)刊行記念

 先月本屋B&B開催の、飯田朔×小山美砂「“自分軸の人生”から“おりない”ために」『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』(集英社)刊行記念に参加した。そこで考えたことや感想を書いてみる。

 小山美砂さんが休職した時のお話をされた。しんどくて休職したのに、休職している間に置いてけぼりをくらうのではないかと心配し資格を取るなど謎に頑張っていたという話をされた。

 この話はとても共感できた。僕は数年前に担任を外れる経験をした。ちなみに今年度も担任を外れている。担任を外れていると忙しない日常から少しは解放される。しかし、傍目には忙しないがガンガン? 授業をして学級経営をしている同僚たちがいる。それを見ているとやっぱり担任はいいよなという思いやこんな激流の日常に戻れるだろうかという心配が浮かんでくる。そこで、何かしないといけないのではないかと自身を急き立てるように考えることは定期的にやって来る。

 とは言え、仕事から少し離れる(「おりる」)ことで僕としては見えてきているものがあるように思っている。それを全て言語化しようとするなら時間が必要だが。少し離れることで自身のしていることや学校での出来事を相対化しつつ考える機会になってはいる。このように考えることで自身のしていることを絶対視することは減ったように思う。そのおかげで考えることや考える時間は増えてしまっているのだけども・・・。まあ、それが嫌というわけではないのだけど。ポジティブ・ネガティブ両方あるが現在の経験は僕にとって良いものになっている。そんな思いに肯定してもらった感じがした。

 「おりる」という言葉のイメージからか、現在の職を辞めるや田舎に移住するということなのかと思われる。しかし、「おりる」思想とは決して環境を変えましょう、と安易に言うことではない。環境と自分の間をどう調整するかということのように思った。

 環境と自分の間を調整していくことが、自分が大切にしたいものを選ぶということにつながる。自分が大切にしたいことを大切にするために「おりる」。自分が大切にしたいことをやっぱり大切にしたいからおりられない。「おりる」ことを意識するとこのようなプロセスを踏むことになる。つまり、「おりる」思想というのは自己選択するということなのだろう、と思った。

 飯田朔さんの『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』が僕としてはとても面白く考えさせられたのでイベントに参加した。飯田さんの話を聞くのと同時に小山美砂さんという存在を知ることができたのはよかった。小山さんの言葉に共感するところが意外と? 多かった。

 この文を読んで興味を持たれたら是非とも手に取ってみてほしい。