物語に登場する女の子トリシャ。そのトリシャが5歳になった時、ある儀式を行った。おじいちゃんが本の表紙にはちみつをたらし、それをトリシャが舐めるというもの。そして、家族みんなで「そう、ハチミツはあまーい。本もあまーい。よめばよむほどあまくなる!」と歌う。
この儀式は家族にとって大切なものであり、家族の誰もが通ってきた道なのであろう。こんな儀式を終え、トリシャは自分もたくさんの本を読みたい、という希望を抱く。
だけど、トリシャはいっこうに本が読めない。本という以前に、字を読めない。小学校に入学しても読めない。全然読めない。トリシャは焦りながらも、得意な絵を描いて、焦りを紛らわしていた。しかし、年を重ねてもいっこうに読めない。そうしていると、クラスメイトからからかわれるようになってきた。トリシャは自分で自分を責めるようになる。そして、休憩時間には人目につかない所でひっそりと過ごすようになる。
そんな時に出会ったのがフォルカー先生である。フォルカー先生は、トリシャをクラスメイトから守り、トリシャの美術的センスを賞賛し、字を読めるように丁寧に指導してくれた。そのかいあってか、徐々にトリシャは字を読めるようになる。
ここまで読んだ方は察しているかもしれないが、このトリシャはLDである。この物語はLDの少女に寄り添う教師の在り方を示唆している作品である。
「僕は彼ら彼女らにとってのフォルカー先生になっただろうか?」と、この節目の時期に自分自身に問いかけたい。そんな思いを持ちながら、彼ら彼女らにしっとりと読み聞かせたい作品である。