小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

ゆず「かける」

今週のお題「かける」

 

 このお題を見たとき、ゆずが歌う「かける」が思い浮かんだ。そして、この記事は「かける」を聴きながら書いている。

 ゆずが歌う「かける」を知らない方もいると思うので、「かける」の一部分になる紹介しようと思う。

一人じゃない 一人じゃない

一人じゃないから

未来へかける

 このフレーズが歌の冒頭やサビで歌われる。

 タイトルもそうだが、未来へかけるの「かける」の部分はひらがな表記である。

 初めて聴いたときは勝手に漢字を当てはめていた。僕は勝手に「翔る」を当てていた。前向きなポジティブなイメージを抱いていた。

 しかし、繰り返し聴いていると「駆ける」「架ける」「懸ける」という漢字も当てはめられるだろうか、と思った。

 きっと作詞した北川悠仁さんもさまざまなイメージを抱きながら作ったのだと思う。だからこそ、聴き手もさまざまなイメージを持って欲しいということなのだろう。解釈が分かれるところだと思うが、僕はこのように受け止めている。

 久しぶりに聴き直してみると考えることがあった。「かける」という言葉から記事を一本書くことができるぐらいに。繰り返し聴いてみるのはやっぱりいいことだよな、と改めて思った。

スライドを使って読字指導

 ひらがなを読むことができない児童がいる。一般的なドリルを用いて学習しても、機械的にひらがなを書くだけになり、学習したことがなかなか定着しなかった。また、ひらがなを読むことができないので、絶えず個別的に指導・支援が必要となっていた。

 そこで、五十音順に単語とそのイラストを合わせたものを「Googleスライド」で作成した。それだけでは、ひらがなを読めない児童が学習を進めていくには難しい。よって、スライドには単語を読み上げた音声で付けた。

 児童はイラストをヒントにしながら単語を読み、またそれをノートへと書いていくよう指導した。また、読めない単語は音声を聞くようにさせ、読みを自分で確認することができるよう指導した。

 このような指導を繰り返し行っていると、児童自身で読みを確認しながら学習を進められるようになった。最近では、学習に慣れてきたので、スライドからイラストだけを消去し、ひらがなの単語の読みと音声だけで学習を進めている。

 スライドを使うことで読み上げた音声を付けることができる。このことが児童自身で学習を進めることを後押ししている。そうなると、今まで個別に指導・支援していたのが減ることとなる。つまり、児童の自律につながる。また、他の児童への指導・支援へと時間を割けることとなる。

 特別支援学級の指導として、1人1台端末で児童自身が学習を進めていくための教材を用意することは有効であるように感じている。

消極的にマメ

今週のお題「マメ」

 

 割りと「マメだね」と言われることがあります。まあ、言われて嫌な気はしない。

 しかし、自分としてはそんなにマメではない、と思っている。僕がマメならば、世の中マメな人ばかりになるのではないか、とさえ思う。
 どうしてマメだと言ってもらえるのかを考えてみる。
 きっと連絡や返信が早いというか細かいだからだろう、と自分としては結論づけた。
 これはマメというか、連絡や返信を後でしようと思うと忘れてしまうから早いだけなのだけど。また、連絡や返信を忘れていて周囲に迷惑をかけたり、そのような言葉を投げかけられるのが嫌だからだけなのだけど。
 かなり自分本位なマメさであるように思う。まあ、それでも悪く捉えられていないのならいいのかな。

特別支援学級における1人1台端末を活用した指導・支援

 近年、人工知能ビッグデータ、IoT等の先端技術が高度化してあらゆる産業や社会生活に取り入れられた「Society5.0 時代」が到来しつつあることが指摘されている。また、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大に代表されるように、社会の変化が複雑化し予測困難となってきている。

 このような急激に変化する時代を生きる子どもたちにとって、教育におけるICTを基盤とした先端技術等の効果的な活用が求められている。それを踏まえ、1人1台端末及び高速大容量の通信ネットワークを一体的に整備する、「GIGAスクール構想」が推進されることになった。そして、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、「GIGAスクール構想」が前倒しで実現することとなった。

 「GIGAスクール構想」により、小学校に1人1台端末が整備された。これからは、1人1台端末を効果的に活用した実践が求められることとなる。それは、特別支援学級も例外ではない。

 「教育の情報化に関する手引」に、特別支援教育における教育の情報化の意義として、以下のように述べられている。

コンピュータや情報通信ネットワークなどのICTは、特別な支援を必要とする児童生徒に対して、その障害の状態や特性及び心身の発達の段階等に応じて活用することにより、学習上又は生活上の困難を改善・克服させ、指導の効果を高めることができる重要な手段である。

 さらに、「教育の情報化に関する手引」には、発達障害のある児童生徒へのICTの活用として、以下のように述べられている。

発達障害のある児童生徒の中には、コンピュータ等の情報機器に興味・関心を強く示す者もいる。そのような児童生徒には学習意欲を引き出したり、集中力を高めたりするためにICTを活用することが想定できる。また、認知処理に偏りをもつ子供の場合は、情報機器によってその偏りや苦手さを補ったり、得意な処理をより伸ばしたりするなどの活用も想定できる。

 以上のことにより、1人1台端末を活用した実践は、特別支援学級において積極的に行っていくべきではないだろうか、と考えた。

 取り組んだ実践についてこれから少しずつ紹介したい。

教採のことを思い出してみる

今週のお題「試験の思い出」

 

 試験の思い出はいろいろあるが、直近で印象的なのはやはり教採のこと。久しぶりに教採のことを思い出してみることにしよう。

 とにかく緊張したことを覚えている。一次試験は特に緊張しただろうか。二次試験になると一次試験を経験したからか、あまり緊張しなかった。

 一次試験では筆記試験と面接試験があった。

 面接試験がとりわけ緊張した。声はうわずっていたし、いまいち何を話していたのかさえ覚えていない。

 試験官も「こいつかなり緊張してるな」と苦笑いしていただろう。もしかすると試験官は、温かい眼差しを送ってくれていたのかも知れない。緊張していたからか僕にはネガティブに映っていた。

 思い出してみようとしてもほとんど思い出せなかった(苦笑)。僕がこのエピソードから伝えられることは、試験には緊張はつきものだから緊張からあえて目を背けないようにしたらどうでしょうか、ということになるだろうか。

 試験にこれから臨まれる方々、くれぐれもご自愛ください。

授業・学級経営・仕事術 教師生活で大切なことを考える会

 昨年の終わりに「授業・学級経営・仕事術 教師生活で大切なことを考える会」に参加しました。若松俊介先生、樋口万太郎先生、小谷宗先生を講師として迎えた会であった。

 樋口万太郎先生、小谷宗先生は出版された『教壇に立つ20代のあなたに伝えたいこと』を、若松俊介先生は出版された『教師としてシンプルに生きる』を軸にしてお話された。そして、最後には参加者の質問に答えながらの座談会であった。

 個人的には若松先生がお話しされていた「シンプルに生きる」ということが考えさせられた。

 経験を積んでいくうちに自分の中にもう一人の自分がいるような感覚になってきている。表面での反応と違う反応をしている自分がいるということ。そうなってくると、一つ一つのことに素直に反応できなくなってきている自分に気づく。

 決して悪いことではないのだけどそれってどうなのよ、と思いながら悶々と日々を過ごしていた。会に参加して、そんな自分もやっぱりいいものだ、と思えた。

 「シンプルに生きる」ということは決して簡単に生きるということではない。でも、一言では言い表せないようなことではある。是非とも書籍を手にして「シンプルに生きる」ということをもっと考えてみたい、と思わされた。

外に出たい

今週のお題「あったかくなったら」

 

 暖冬とは言われますが、それでもやはり寒さを感じます。外に出ることはおっくうになっていまいますし、体を動かすのも意識しないとしていないことが長く続いてしまいます。

 早く暖かくなってほしいな、と日々思っています。そして、暖かくなったらやりたいことを考えたりもしています。

 暖かくなったらとりあえず外に出かけたい。外というのはどこかの店やショッピングセンターとかではなく。

 ピクニックもいいし、山登り、お花見のような外に出ることが目的にして外に出かけたい。バーベキューをするのもいいな。

 しかし、こんなに楽しげに考えておきながら、いざ暖かくなると外に出かけないのはなぜだろうか(笑)。

 暖かくなったときの自分に期待しておこうとは思う。たぶん外に出かけず、結局引きこもってぐうたらしているだろうな。

広瀬友紀×小野健太郎「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?――子どもと算数の世界を探る。」

 先日、本屋B&Bが開催した、《広瀬友紀×小野健太郎「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?――子どもと算数の世界を探る。」『ことばと算数』(岩波書店)『オーセンティックな算数の学び』(東洋館出版社)W刊行記念》に参加した。そこで考えたことや感想を書いてみる。

 一つは、オーセンティックな学習を構想することの必要性。オーセンティックな学びというのは学習指導要領改訂ぐらいからよく耳にするようになった。しかし、オーセンティックとなると生活に即したものという捉えがあった。

 例えば、玉子が安売りしています、10個入り100円のものと8個入り96円のものどちらがお得ですか、という問題を提示する。計算すると1個あたり10円と1個あたり12円となるので10個入りの玉子がお得だと考えられる。ここで生活に即して考えると10個入りの方がお得だが多いので食べきれない、賞味期限が長い方を買いたい等の、個別の事情が差し込まれることになる。そうなるとなかなか収拾をつけるのは難しいし、学習事項を教えるというには邪魔になりかねない、と思っていた。

 これはあながち間違ってはいないが、オーセンティックを排除し算数の問題として取り組ませることだけでは、子どもたちが学びを自分の方へと引きつけられないことが考えさせられた。そうしていると、算数の学びは深まるが、それを生活場面には使えない。切り離された学習になってしまう。これは算数だけでなく多くの教科における課題ではあるが、算数はそれが顕著ではないだろうか。

 よって、フィクションの問題を取り扱いつつオーセンティックに迫る子どもの姿があれば排除してはいけないだろう、と強く思った。また、ときにはオーセンティックに入り、フィクションに戻るようなことを意識的につくりだしていかないといけないのではないだろうか。

 二つは、言葉の意味をどのように解釈するかということに意識を向けるということ。このイベントのタイトルにある「先生、正三角形は二等辺三角形に入るんですか?」にもつながることである。

 ワークシートに「筆者の工夫はありますか」と書かれている。ある程度の空白が用意されている。こうなっていると、筆者の工夫について何かしら文章で書くことが期待されていることはわかる。ここで「あります」だけ答えるのは、わかるけど違うだろうということになる。これはイベントでも例として挙げられていた。

 このように、伝えたい意図や意味を理解できるのは当たり前と捉えないということが大切になるということ。言葉は言外にさまざまな意味を持たせている。特に教師は気づいてほしい、わかってほしいと子どもに期待しがちではある。多くの子どもは理解していくのだと思うが、もしかするとそこで引っかかり進めない子どもがいるのかもしれない。かもしれないという判断の保留のようなスペース的な考えは、子どもたちの学びを見ていくときには必要だろう。算数だけはないが文章問題の課題として、「結局国語力の問題だよね」となることがある。大雑把に言うとそうではあるかもしれないが、もう少しそこへとアプローチする手立てを考えないといけないだろう。

 講師お二人の著書も読んで自分自身の学びを深めていきたいな、と強く思ったイベントであった。

2023年にやりたいこと

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

 これを書いているのは、まだ2022年。ということで、少しにはなるが2022年を振り返ってみる。

 2022年は自分の老い? を感じる一年であった。体調が優れないときがしばしばあった。結局は、体が悪いと言うよりは運動不足であったり生活習慣の問題のように思っている。もう若くないので体を労りながらしていかないといけないな、と思っている。

 2023年にやりたいことは、学校図書館司書教諭の資格を目指したいな、と思っている。読書好きではあるが、読書指導や図書館教育については、あまり明るくなかった。しかし、そこに自信を持って取り組むためにもお墨付きを得たい、と思っている。具体的には放送大学が現実的かな、と思っている。少しでも学ぶということに取り組めるような一年にしたい。

 そのためには、もちろん体調を整えることは必須である。つまり、2022年と2023年はつながっていくということ。

想像力を考える

 少し前に障害者理解、もっと言うと他者理解のキーワードは「想像力」ではないか、ということを記事にした。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

 そこでキーワードとして提示した「想像力」について考えてみている。

 そうしていると、学校教育の教科において想像力を育むことが目標になっていることに気づいた。

 その教科が国語科である。今さら気づいたのか、と言われると弁明はできません・・・。

教科の目標は,次のとおりである。

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う

⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 国語編」より引用(太字は加筆)

 国語科で育てる想像力というのはどのようなものだろうか。国語科で想像力を育てる授業の具体はどのようなものだろうか。そんな新たな問いが生まれてきている。

 また、想像力の似ている言葉や関連がありそうな言葉を考えてみている。

 「察する」「推察する」「推し量る」「イマジネーション」「思いやり」等々。僕がここで考えている想像力は、他者へと向ける想像力が主なのでこのような言葉を思い浮かべている。

 しかし、なかなか答えが出ないというか、堂々巡りというか、沼に入りつつあるように感じている。

 だからと言って、考えを止めたくはない。ゆっくり考え続けることにしようか。

スリム化

今週のお題ビフォーアフター

 

 今年に入って体重の増加が著しく、まあ今年に限った話ではないのですが・・・。体重計に乗るということが習慣化していないのではっきりとはわからないが、過去最高値に近かった。これはまずいのではないか、と思い体重を気にすることにした。

 とは言いつつも、大したことはしていない。張り切りすぎて息切れするというのは幾度も経験したことなので、ゆるく行っていった。

 とりあえず、毎日体重計に乗ることは意識した。意識することで考えるというか気づくきっかけになるかと思ったからだ。あと、食事量を心持ち取り過ぎないようにすることも意識している。心持ちなので厳密にはしていない。これぐらいゆるい方が僕には合っているので。

 そうしているとスリム化にある程度成功した。半年前と比べるとー2㎏ぐらい。まあ微々たるものではある。しかし、このまま年末年始に突入するときっと過去最高値は更新していただろうから、少しは安心している(笑)。

 年末年始にきっとこのスリム化は終わってしまうだろう。それでも、年末年始は楽しみたいと思っている。

熊谷晋一郎『「共に生きる」覚悟』

 先日、そらともプロジェクトオンライン連続講座 第5期「共に生きる社会へ〜インクルーシブを『自分ごと』として考える」という、熊谷晋一郎先生の講座に参加した。そこで考えたことや感想を書いてみる。

 一つ目は、障害の社会モデルについて。

 医学モデルから社会モデルへの移行ということは何度も耳にしたことがある。本人ができていないところや足りていないところをできるようにするのではなく、現在の本人ができることを活かすため環境を変えていくということ。この社会モデルが基本的な考え方になる。

 しかし、教育現場では本人ができていないところや足りていないところを伸ばしていくことに力を傾けがちである。それは学校教育の特性上なくすことはできないように思っている。だからと言って、それだけでなく社会モデルを意識し、環境を変えるということも考えないといけない。要はバランスが大切ということだろうか。

 二つ目は、当事者研究と外在化について。

 熊谷先生の専門の一つが当事者研究になると思っている。当事者研究は、本人がどのような感じ方や考え方をしているかを丁寧に読み取ることができるような形にしていくこと、と理解した。そこではジャッジをしないことが大切な態度になることがわかった。どうしても話を聞いていると「それは○○だよ」等とジャッジをし、ときには指導までしてしまう。そうなると本人の感じ方や考え方を引き出すことができなくなってしまうのだろう。

 当事者研究を進めていく中でどうしても本人にとって大きな課題が出てくる。それをはっきりさせるために当事者研究をしているのだろう。そこで、大切になるのが外在化。本人に課題があるというのではなく、本人と課題を切り離して考えてみるということ。反省ではなく省察がキーワードになる。

 三つ目は自立と依存について。このお話が聞きたくて参加した。

 自立を大きな目標として、学校現場で奮闘している。しかし、自立とは独力で何事もできるということではない。もちろん、自分のできることは自分でしたらよい。それでも自分ではできないことはある。それをできるようになるというよりは、できる人や物に頼れるようになることが必要になる。つまり、積極的に依存していきましょうというススメである。これは何も障害のあるなしに関係のない視点だろう、と思った。

 以上が僕なりの学びになる。長くて読みづらいところは多々あるだろうが、どちらかと言うと備忘録のようなものなのでご容赦ください。

日々を忘れ去らないように

今週のお題「日記の書き方」

 

 僕は日記を書いているという意識はない。日々のことを忘れ去らないように書き残しているという意識である。僕はそれを手帳に書き記している。

 このことについては過去にもいくつか記事にしているので、よければ参照してください。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

kyousituchallenge.hatenablog.jp

 では、なぜ日々のことを手帳に書き記しているか、ということ。

 例えば、学校の一大行事である運動会。コロナ禍前を想定すると、運動会の日に打ち上げがある。そこで「大変だったけど、よかったね」と労を労う。

 しかし、ここで何か忘れていないか、と僕は考えます。練習から運動会当日までの間にいろいろなことがあります。それを忘れ去り、「とりあえずよかった」と思ってしまっていないか、と。

 まあ、例えではあるのですが、学校現場ではありがちな姿かな、と思う。それではもったいないというか、ダメだろうと思っている。だからこそ、日々のことを手帳に書いているのである。

 そして、たまに時間のあるときにパラパラと手帳をめくりながら、そのときに書いたことを読み返している。たまにではあるが、そこから新たな気づきのようなものも生まれる。

 以上が僕の日々を忘れ去らないための方法です。

複式授業から学ぶ

 以前、特別支援学級の授業は複式学級の授業に似ているのではないか、という記事を書いた。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

 特別支援学級は、複数学年が在籍することが多い。1~6年生が勢ぞろいしているということもないわけではない。しかし、教師の体はもちろん一つである。時間割によっては付きっ切りで指導できる時もあるが、全員がそろっている時や複数名いると付きっ切りで指導することはできない。そうなると、自ずと子どもが自分自身で学びを進めていく時間が発生する。子どもが自分自身で学びを進められるようにするには、教師の意図的な指導が必要になる。

 以上が、過去記事の簡単な紹介であり、僕の課題意識である。そして、複式教育を参考にすればよりよいのではないか、という仮説を持っている。

 そこで、複式教育について調べた。ググって頭に出てきたものに目を通してみた。 それは、長崎県教育センターが作成した「子どもの学びを支える複式授業」である。

www.edu-c.news.ed.jp

 読んでみると、複式授業のキーワードとして「直接指導と間接指導」、「異学年集団」というのがあった。それは特別支援学級にも重なることだろう。

 直接指導を行うときに、学習の見通しを持てるようにし確認し間接指導に入る。そして、学び方を身につけられるよう指導していく。これは特別支援学級でも意識したいことだと思った。また、このように指導していくために学習過程を各学年でずらす(ずらし)ということも考える必要がある。このような学習過程は、特別支援学級でも日々考えていることである。大いに参考になる。

 異学年集団では、上学年が下学年に温かい眼差しを向け、下学年は上学年に憧れの眼差しを向ける。そのような集団になればよりよくなる。異学年であるが同じ学級に在籍しているのなら関わり合い、磨き合う集団にしていきたい。なかなか関わり合いは難しいところがあるのだが(笑)。難しいからこそ取り組んでいかないといけないように思っている。

 やはり複式授業(複式教育)から学べることがあった。また、僕が考えて意識していることは間違った方向には行っていないように思えた。

買ってよかったものを三つ

今週のお題「買ってよかった2022」

 

 買ってよかったものについて、一年を振り返りながら書いてみる。いくつか思いついたが三つにまとめてみる。
 
①ノートパソコン
 ノートパソコンが重くなってきてストレスを感じていた。しかし、まだ使えるには使えるしと思いながら使っていた。だが、ブログを書いたりする等がなかなか進まなくなってきたので一念発起して購入した。
 やはり快適である(笑)。早く買い換えておけばよかったな、と強く感じた。しかし、使い慣れるまでは少し時間がかかるだろうな、とも思っている。
 これが今年一番印象的な買い物である。
 
大正製薬 VICKS

 季節の変わり目は体調を崩しやすい。僕も多分に漏れず体調を崩した。喉の痛みがあることがよくあった。いろいろとのど飴を使ってみたが、気休め程度のものばかりであった。

 いろいろと試しているうちに、このVICKSを使ってみた。そうすると、すぐによくなった。まあ、たまたまかもしれないが、僕にとっては買ってよかったものである。

 

③純度100%! 有田哲平のプロレス哲学

 この本はプロレスファンでおなじみである、くりぃむしちゅー有田哲平の一冊である。同じプロレスファンとして、これは読まなくてはと思い、すぐ手に取った。

 ここで書評のようなものを書くのは違うので簡単に言うと、とても面白い内容であった。プロレスファンは必読の一冊と言って過言ではない。

 また改めて記事にしたいと思う。