小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

ポスト・コロナの学校は?

 新型コロナウイルスがあることに慣れつつある。慣れるという表現は間違っているのかもしれないが、僕にはこのような感覚がある。だからか、世間でも「withコロナ」「ポスト・コロナ」等と言うようにもなってきている。

 さて、ポスト・コロナの学校はどのようになっていくのだろうか、どのようになっていけばよいのだろうか。このような問いが浮かび上がってくる。そのことに応えてくれる一冊がある。それが『ポスト・コロナの学校を描く』である。

 全体を通して主張されていることは、「変わるきっかけを逃しちゃうよ!」「このまま元に戻るでいいの?」ということ。また、「これを機に学校の在り方を再考しましょう」ということ。現場にいる者だからこそ、考えないといけないのではないか、と感じている。それを自分なりに描いているのが「ポスト・コロナの学校現場」という連載記事である。よければご覧ください。

 本書の中で、授業づくりネットワーク理事長の石川晋先生は、以下のような提案をされている。

許容範囲の広すぎる人も、狭すぎる人もいますが、ぼくは話し合って対応を揃えたらいいと思っているのではありません。互いの状況を持ち寄って対話し、相互了解・可動域の調整を図っていく。「ああ、自分はすこしゆるすぎるかも」「ああ、自分は少しキツすぎるかも」、そういう気づきは、集まって教室の子どもたちの様子を語り合うことでこそ生まれてくるものでしょう。

 同じ学校の他の教室や隣の教室でどのように教育がなされているか知っているだろうか。新型コロナウイルスの感染予防をどのように行っているかを知っているだろうか。もしかすると、自分のしていることは自己検閲が厳し過ぎるのかもしれない。もしかすると、自分がしていることは周りから見るとだらしな過ぎるのかもしれない。

 つまり、井の中の蛙状態に陥ってしまっているかもしれない、ということ。そうならないためにも、学校全体で対話を必要なのではないだろうか。対話を通して、同僚性を育むことにもつながるだろう。困難な局面を乗り越えるには、他者との対話・協働が大切になる。それは新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」というキーワードに通じる。子どもたちに求めるなら、教師からではないだろうか。

 ポスト・コロナの学校をどのように描いていくか、ということを現場にいる者は考えないといけないのではないだろうか。現場にいる者にとっては必読の一冊に間違いないだろう。