小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

プロレスとは「人間の所業」である。

プロレスとは「人間の所業」である。(byTAJIRI)

 

 今回も、元WWEスーパースターのTAJIRIの言葉から考えたことを書いてみる。前回のもののリンクを貼っておきますので、よければご一緒に読んでみてください。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

  さて、今回のTAJIRIの言葉には続きがある。

プロレスとは「人間の所業」である。なので、ハートが奇麗な人はそういう試合をするし、ハートが薄汚い人はやはりそれが試合に出てしまう。そして独自の哲学を持つ人は、試合にもその哲学が表れるのである。

  つまり、プロレスは人間の所業であるので、その人間の内面や考え方までも表現されることとなる、ということだ。それは意識的に表現されるものもあれば、無意識に表現されるものもある。これは、プロレスを長年愛してきた者としてはよくわかる。

 プロレスとは、育てゲーの側面もある。デビューした頃から何年もかけて応援し、その選手が飛躍していく瞬間を目の当たりにするのが醍醐味の一つである。その時には、長年応援してきたからこそ知り得ている、選手の内面や考え方まで思いを馳せることになる。選手の歴史を知ることで、プロレスはより楽しむことができるというわけだ。

 プロレス愛が溢れてきているが(笑)、話を教育の方へと持って行こう。

 教育も「人間の所業」である。だから、教師という人間の内面や考え方までも表現されることとなる。もちろん、意識的に表現されるものもあれば、無意識に表現されるものもある。

 ここで意識しないといけないことは、その表現されるものをメタ認知するということ。表現されているものに無頓着ではいけない。それが子どもたちの育ちにとって好い影響を与えているのならいい。そうではなく、悪影響を及ぼすことになっているのならよくない。そこは少しでも影響が和らぐように気をつけるべきであろう。

 でも、「人間の所業」であるので、全てを変えることはできない。それはそれで不自然のように思う。だけど、自覚しておかないとたちが悪い。自覚した上で、その表現されるものをどうしていくかを考えておきたい。

 自分はどんなものを表現しているのか、表現してしまっているのかということをゆっくり考えてみたいものである。