今年は算数専科ということで、
若手の授業では、「やっぱり」「どっちでも」「 まあ別にいいかな」という言葉をよく聞く。 これらの言葉の意味することは、 若手が決めあぐねているということだ。また、 何となく言葉を発していることでもある。つまり、 意図が感じられないということだ。
子どもたちに関わる者や機関は多くある。だけど、その中で教師だけが持っている視点がある、それが、意図的・計画的な視点である。
教師は子どもたちに接する上で、意図的・計画的な営みを施している。この学校教育が持つ本質を、教師自身が侮ってはならない、と僕は思っている。それに、意図的・計画的でない営みをしていても、誰も信頼してくれないだろう。
だからこそ、教師が行うことには意図を持たせないといけない。それが自分よがりのものであったとしても、若手にはまず意図を持ってもらいたい。そうしているうちに内に、さらにより良い意図を考えるようになるから。
もちろん、意図的・計画的なものから外れ、出てくるアイディアも必要なことだってある。だけど、それは別の機会にでも(笑)。