小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

言語化することで

 先日、『キーワードは「言語化」』という題で記事を書いた。今回は、それの続きです。 

kyousituchallenge.hatenablog.jp

  僕は上の過去記事で以下のように書きました。

確かに僕の授業は、言語化を子どもたちにさせている。むしろ、子どもたちの言葉で授業を進めようとしている。

でも、言語偏重になっているような気もしている。それが得意な子どもたちにとってはいいのだけど、苦手な子どもたちもいる。そこには気をつけないといけないな、と思っている。

  自分の授業のキーワードを挙げるとするならば「言語化」ということになる。しかし、言語偏重になっているのではないか、と危惧している。というのが簡単なまとめになろう。

 言語偏重になっていないか、という自覚を持っておくのは大切であろう。だけど、言語化することはやはり重要なことではないか、という考えが頭の中でぐるぐるとここ数日回っていた。それについての一応の答えめいたものを書き残しておく。

 言語化することが得意・不得意はある。でも、言語化させないと、考えを共有することは難しいので、言語化は必要だ。言語化し、考えを可視化しないと、考えることが難しい子は取っ掛かりさえ掴むことができない。でも、言語化された考えを得ることで、考えることが難しい子も考えられる子になれるかもしれない(もちろん、そんなの簡単ではないことは織り込み済みである)。ただし、言語化できない感覚という部分も認めていく。だけど、その感覚も共有しようと思えば、一定の言語化が必要になってくる。だから、授業のキーワードは「言語化」ということは重要だろう。

 というのが今現在の答えということで。言語化することで、自分としてはスッキリとした気持ちになっている(笑)。これを子どもたちにも味わってもらいたいな。もちろん、全員が好きな感覚ではないだろうけど。