小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

仕事と涙

 僕は涙もろい。涙もろいというか泣き虫だ。小さい頃、両親に泣き虫なことを注意された記憶さえあるぐらいだ。大人になってずいぶん改善された気はするが、やっぱり涙が流れることがある。

 先に述べておくが、僕は決して涙を流すことを否定的に見ていない。むしろ、感情の表れというものであるから、よいことだ、と思っている。

 仕事でも涙を流したことが一度や二度だけではない。今回は僕が仕事(教師)をしている中で流した涙について書いてみる。

 

 初めて涙を流したのは、初めての研究授業の事後研。当然のごとく授業はすっとこであった。今、振り返ってもひどい授業だったな、と感じている。授業者がそうであるならば、参観者ならなおさらそう感じただろう。いろいろと意見や改善点を伝えてくれた。まあ、それはあんまり覚えていないのだけど。でも、子どもたちが頑張っている姿、成長している姿は認めてもらえた。だからこそ、本当に悔しかった。子どもたちに悪いことしているな、と思って。もっと自分が授業でしないといけないこと、考えないといけないことがたくさんあるのだ、と痛感した。泣きじゃくってたわけではないけど、悔しさで涙があふれていた。

 次に涙を流したのは、空きコマの職員室で。その時、学級が落ち着いた雰囲気ではなかった。だけど、どんな一手を打てばよいのか、ということさえ見えていなかった。その日も何かしらのトラブルがあったように記憶している。空きコマで職員室の自分の席でうなだれていた。そこに教頭先生が寄って来て、話をした。はっきりとは覚えていないのだけど、「自分のよいところをもっと活かしてやってみたら」という内容であった気がする。その時、僕はあれもできていない、これもできていない、とできていない所ばかりを見つめていた。それは、子どもたちにもそうだし自分自身にも。でも、できている所やよい所はある。それを見てくれていたのだ。その安心感というか認めてくれている感じがあり涙を流した。

 その次は、保護者との面談の時。よいことではなく、よくないことで面談をしていた。そこには僕だけでなく他の教師も同席していた。そこで、保護者の感じたことや、子どもの感じていること等をけっこうストレートに話してくれた。聞きながら、僕はいろいろ考えた。結局、そこまで考えが至っていなかったのだ、と痛感した。僕は気づいていない内に傷つけてしまっていることにようやく気づくことができた。全てを聞いた後、僕の思いを話した。その時に涙が止まらなくなった。本当に止められなかった。こういう場で涙するのは反則のような気がしたのだけど。

 と、仕事で涙したエピソードをいくつか書いてみた。他にもあるのだけど、この辺で。

 涙のエピソードを書いたのだけど、どちらかと言うと失敗のように感じられるものになった。これらの失敗が今の僕を形作っている、と感じている。だから、流した涙は無駄になっていないはずである。

 ということで、僕はこれからも涙の思い出を抱えながら、仕事をしていくことになるだろう。

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