歓声とブーイングは、ベクトルは違っても客が熱くなってるって意味では一緒だって気づきましたね。(by真壁刀義)
スポーツでは歓声だけでなく、時にはブーイングが巻き起こることがある。「ブー」と唸るだけでなく、指笛を鳴らす、手の親指を立てて逆さまにすることもある(サムズダウン)。
日本では野次、大相撲での座布団投げがよく見られる。ブーイングを行うことで、選手・チームのプレーや試合経過等への不満、審判のプレーに対する判断に対しての不服などを示している。
しかし、プロレスにおけるブーイングの意味合いは他のスポーツとは少し異なる。プロレスにおいてはブーイングを送ることが、ヒール選手に対する賛辞になっていることがある。もちろん、上記のように不服を表すこともあるが。ヒールレスラーにとってはこのブーイングの大きさというものが一つのバロメーターになっている。
そのことを、今ではスイーツレスラーとも知られている真壁刀義は語っている。真壁はかつてはヒールレスラーとしてリングに立っていた。その時には歓声よりブーイングを浴びていた。でも、レスラーだって人間。歓声が欲しくなる。でも、そこにこだわってしまってはいけない。だからこそ、真壁は「気づいた」と、語っているのだ。
さて、視点を教育の場面に移してみる。
子どもからのブーイングはある。例えば、「宿題多い!」「先生、そのファッションセンスは…」「どうして怒られないといけないの?」等、様々である。
現代の子どもたちは、「傷つけて近づく」というコミュニケーションを取る。「先生ってファッションセンスないよね」「先生ってイケメンとか本気で言っているの」等々(笑)。そこに、正面からぶつかっていく必要はない(だが、イライラしてしまうことも多いが)。ブーイングの中には本当に不満を表しているものもあると思うが、ほとんどは教師に注目してほしいという思いが込められている、と思う。
それに、ブーイングをなくそうなくそうと思っても、それはこちらから「やめて!」と言ったところでなくなるわけではない。だから、ブーイングをもらうぐらいがちょうどよいと思いたい(笑)。ブーイングをもらっているうちが華かもしれない。
それに、相手の技(ブーイング)を食らうことを極端に嫌う人間は「プロレスラー」(=教師)とは言えない、と思っている。