小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

価値づけることの方略

 価値づけるということを考えて記事にしている。今回でいちおう終わりになりますので、よければ最後までお付き合いください。

kyousituchallenge.hatenablog.jp

 前回、僕は「『価値づける』と『褒めること』は似ている行為ではあると思うが、全く同じ行為だとは思わない」と述べました。少し補足をします。

 「褒める」は、悪いことではない。僕も全く褒めないということではない。しかし、「褒める」ということは、子どもたちを「褒める」方向に導こうとする、という教師の思いが強くなり過ぎることがある。つまり、子どもたちを「洗脳」することにつながることになりがち、ということである。

 そのように考え、「アドラー心理学」では「褒めること」について少し批判的である。アドラー心理学では、「褒めること」よりも「勇気づけ」というアプローチを提唱している。

 岸見は「勇気づけ」について以下のように説明している。

ほめるのとは違って、すなわち、評価するのではなく、喜びを共有すること、自分の気持ちを伝えることは勇気づけになります。当たり前だと思って見逃しがちな行為に対して「ありがとう」とか、「助かった」といってみます。

(『アドラー心理学入門』岸見一郎、KKベストセラーズ、1999、p70)

 細かい違いではありますが、僕は「勇気づけ」を意識し、取り組んでいるつもりである。

 さて、ここで僕が行っている価値づけることの方略についてまとめてみる。「価値づける」ために、僕が行っていることは「勇気づけ」「語る」「示す」の三つである。

 「勇気づけ」は、先ほど述べた通りである。

 「語る」ということは、言葉の通り、子どもたちに話すことである。学級担任をしていると子どもたちに「語る」という場面は多くある。朝の会、授業、行事等々。そこで、価値ある行為や大切にしたい価値を語る。もちろん、「語る」ということは先ほど述べた「勇気づけ」に比べると、教師の思いが強くなる。だからと言って、「語る」ことを放棄してしまうのもよくない、と思っている。

 そこで、僕は「語る」時は、なるべく「洗脳」にならないように、多角的に語るように気をつけている。

 例えば、学び方について語るという場面。「学校に来て同じ学習をしている人が近くにいるのだから、何人かで集まり学習を進めるのは良いと思う。だけど、集まって学んでいると自分の考えを深められていないのかもしれないよね、反対に、一人でじっくり学ぶということも良いと思う。だけど、一人だけで学習をしていると、その考えだけで凝り固まらないかな。せっかく同じように学んでいる人が近くにいるのだから、もったいないな。つまり、どちらの学び方でも良いってこと。要はバランスが大切だよね」というように語るようにしている。

 「示す」ということは、子どもたちの価値ある姿や言葉を取り上げることである。例えば、学級通信で文章や写真で取り上げ、価値ある姿や言葉を紹介する。また、言葉で「示す」ということもある。それは、上記で述べた「勇気づけ」「語る」を通して行っている。

 以上が、価値づける方略の三つである。この三つは一つひとつが重なる部分もある行いである、と考えている。

 自分の中で「価値づける」ということについて、かなり考えをまとめることができた、と満足している。

 最後までお付き合いしていただいた方がいましたら、ありがとうございました。