小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

覚悟を問う

結論めいた回答

 初めに「インクルーシブ教育が是か非か」についての問いに回答する。

 「インクルーシブ教育は是である。推し進めていく方向でよいと思う。また、その先にフルインクルージョンを見据えていきたい。」というのが、私の先述の問いに対しての答えである。

 2012年に中央教育審議会で出された「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」で、「インクルーシブ教育」という言葉が使われるようになった。ここで、障害のある子どももない子どもも「同じ場で共に学ぶことを追求する」という原理が打ち出された。また、これまでに存在してある多様な場―特別支援学校、特別支援学級、通常学級、通級による指導―も、今までのように整備する原理も打ち出された。

 ある意味、ダブルスタンダードとも取れる原理の打ち出し方に批判もあるであろう。しかし、巨額の財的措置を伴う教育政策が簡単に行えるわけでもないし、変化に対応できる教員の確保も容易ではない。そのような現状を鑑みると、漸進的かつ現実的な改革であると評価したい。だが、「インクルーシブ教育」を推進していくことには多くの困難が待ち構えているだろうと考えてもいる。

 「インクルーシブ教育は是である」ということを前提としながら、これからさらに論を進めていく。

 

魔法の呪文

 教育論を形作っている言葉には、不思議な力がある。「確かな学力」にしても、「生きる力」にしても、うさんくささと同時に、各論に至った時の解釈の違いを包み隠してしまうほどの、総論レベルでのもっともらしさや、反論のしづらさを醸し出す力である。

 「インクルーシブ教育」も例外ではない。「障害のある者と障害のない者が共に学ぶ」と言われたら、「共に学ぶ」ということの意味を各論レベルに限定しない限り、反論しにくい。ところが、各論や個別ケースに降りたとたん、どんなことが「共に学ぶ」ということなのかを巡っては、立場によって異なる解釈の余地がある。しかもその多くは、どちらがより正しいかを決めかねる、水掛け論や、多様な価値観のせめぎ合いの性格を持つ。このような言葉で語られる教育論は、さながら「魔法の呪文」のようなものである。だけど、この呪文自体に特に意味はない。

 それなのに、世間ではこのような「魔法の呪文」を唱え、その結果を教育に求める。さながら、教育は「魔法の杖」かのように。そして、好ましくない結果が出るものならば、教育が問題視される。仮に、教育に責任の一端があったとしても、身の丈以上のことが期待されているだけなのかもしれない。

 つまり、「インクルーシブ教育を導入し、共生社会を実現しよう!」等を言い出すと、世間では決してそうなっていないのに、教育にだけ理想を押し付けることとなる。そうなると、教育は理想と現実との板挟みになり、苦しむこととなる。

 まずは、「教育にだけ理想を押し付けないようにする。そして、教育に新たな挑戦を認めるような世論を形成した上でインクルーシブ教育を推し進めていく。」ということを切に願いたい。また、「現在まで続いてきた教育を大きく変えようとする改革を行うのではなく、現在まで続いてきた教育を整理し、新たに意味づけるような漸進的な改革を行っていきたい」ということも強調しておきたい。

 

特別支援教育の弱点

 2007年に法制化された特別支援教育は、通常学級でも障害のある子どもが在籍していることを公式に認知し、そのような子どもたちにも応じた教育を行っていくことを公式に目指したことが大きな成果として挙げられる。個別指導計画、個別の教育支援計画然り。それもこれも、特別支援教育が法制化されたことがきっかけになっている。

 しかし、特別支援教育にも課題は多く存在している。その中で一番大きなものだと考えていることが、「集団の中で育てるという視点の欠如」であると考えている。

 先述したように、特別支援教育の法制化によって、かつてない程「個に応じた指導」が重視されるようになった。だが、何十人もの子どもが在籍している通常学級では、「個に応じた指導」に限界が来る。さらに、学級集団全体の指導と「個別指導」のバランスを欠くことで、多くの子どもたちの不安感、不全感を助長した結果、学級集団自体が不安定になる事案も散見されるようにもなった。

 しかし、一方で学級集団の安定度や周囲の子どもたちとの関係を丁寧に紡ぐ中で、障害がある等の気になる子どもも落ち着き、学びに向かうことができるようになっていく取り組みが成され、提案されている。そのような実践では、障害がある等の気になる子どもへの「個別指導」だけで成果が上がったわけではないはずである。また、その子らの「能力」が急激に伸びただけでもないはずである。その子らが「どうすれば集団の中で学び、暮らしやすくなるのか?」ということを志向した結果なのである。

 つまり、「個」と「個」を繋げる、「個」と「集団」を繋げるという視点を持っているということである。このように、集団関係の中で子どもたちを育てる視点を、青山(2006)は「集団の中の個」という言葉で表し、障害がある等の気になる子どもを「集団の中の個」として捉え、指導する必要性を示唆した。

 通常学級で行われてきた実践の中には、「one for all, all for one」の言葉で表せられるような、「個」と「集団」を繋げ、「集団」を高める指導が多く成されてきた。もちろん、通常学級で行われてきた実践が全て善いものだとは考えていない。「one for all, all for one」とは言うものの、どちらかと言うと「one for all」(みんな一緒)を求められがちである。そこで生まれる同調圧力から派生する「いじめ」等、多くの課題を抱えている。だからこそ、通常学級で行われてきた実践を新たに「インクルーシブ教育」という視点―誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相互に認め合える全員参加型の社会―から整理し、見直す必要があると考えている。

 「インクルーシブ教育」を推し進める上で、「一人ひとり」の原則と「みんな一緒」の原則をどうやって学校―社会―という場の中に収めていくか、ということが鍵になってくるであろうと考えている。

 

社会は変わる

 ここまで、様々なことを述べてきたが、ここで再度「インクルーシブ教育は是である」という答えに立ち戻り、インクルーシブ教育を推し進める「目的」を確認しておきたい。なぜなら、何のためにインクルーシブ教育を目指すかということを明確にしない限り、安易に「方法論」に飛び付くような、本質からズレたものがまかり通ってしまうからである。

 障害者権利条約第24条では、障害者を包容するあらゆる段階の教育制度及び生涯学習を確保するための目的として、「人権、基本的自由及び人間の多様性の尊重を強化、並びに、障害者が精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とすること等」を挙げている(外務省、2014)。つまり、単に同じ学校に通い、同じ学級で時間を過ごすことがインクルーシブ教育ではないということである。

 それよりも重要な点がある。それは「自由な社会に効果的に参加することを可能とする」ということである。これは何を意味するのだろうか? 私としては、インクルーシブ教育は特別支援教育の変形版ではなく、多様性を認められる人・社会を目指すことが根底にあるということを明確に打ち出しているのであると考えている。つまり、「インクルーシブ教育」は「教育界」だけの課題ではなく、社会全体の課題であるのだ。このことを、どれだけの人が理解しているだろうか? 

 だから、表題が「覚悟を問う」なのである。「インクルーシブ教育」は、私達の「変化する覚悟」が問われていると言っても過言ではない。社会は変わらざるを得ないのだ。

 「社会は変わらざるを得ない」と言っているだけでは、もちろん変わっていくわけではない。では、どうしたらよいだろうか?

 「教育にだけ理想を押し付けないようにする。」等と先述したが、そこに期待しているのではなく、まず自分から一歩踏み出し、自分を、そして教室を変えていきたい。変化を与えるからこそ、変化が与えられる。周りから変化を「与えられる」ということを待っていてはならない。心の物乞いになってはならない。そういう気概で、まずは、自分から、自分の周りから「共生社会」を具現化していきたい。

 

おわりに

 「インクルーシブ教育」を推し進めるということは、待ったなしの状況である。しかし、まだまだ現場は混沌としている。「インクルーシブ教育」という言葉がまるで魔法の呪文のように、ただただ唱えられている。この状況で、アリバイづくりのように、安直な「方法論」に飛びついた実践は行いたくない。先行きが不透明な今だからこそ「インクルーシブ教育」の哲学を構築することを後回しにしてはいけないと考えている。

 今回は「インクルーシブ教育が是か非か」という問いを中心に据え、「特別支援教育の未来」について論じた。果たして僕たち、子どもたちが生きる未来は明るいのだろうか?

 ももいろクローバーZは「Zの誓い」の中で、「未来守る者をHEROと呼ぶ」と歌っている。そうである。僕たちは、子どもたちの未来を守っているのだ。さながら「HERO」のように。「HERO」であるなら困難な事も引き受けないといけないであろう。そして、困難に立ち向かっていかないといけないであろう。

 今回の論を端に、障害のあるなしに関わらず、共にこの場で生きていくことができる社会を構築していくための歩みを進めていきたい。

 

参考・引用文献

文部科学省(2012)「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321668.htm

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