小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

何もできないかな…

つながり格差の顕在化

 21世紀を間近に控えた1999年に、いわゆる学力低下論争が勃発した。そして、翌年のPISA調査と呼ばれる国際化比較学力テストの結果が公表された。これらの経緯から、日本の子どもたちの学力低下傾向にあると判断した文部科学省は、「ゆとり教育」路線を軌道修正し、「確かな学力」向上路線に向かうことになる。それが頂点に達したのが、2007年から再開された全国学力・学習状況調査の導入である。

 ご存知の通り、最近の成績上位は「秋田県」「福井県」「富山県」となっている。この結果に教育社会学者の志水宏吉(大阪大学人間科学研究科教授)も衝撃を受けた。いわゆる「田舎」が上位を占めている。そこで、志水はどういった要因が子どもたちの学力にとりわけ関連が強いのかを調査していく。その結果から、学力と高い関連をもつ現代的要因を見つけ出した。それが、「離婚率」「持ち家率」「不登校率」の3点である。確かに、都会より田舎の方がこの3点の率は低いように予想できる。

 以上のような結果から、志水は、『伝統的な人間関係が存続している地域(=「つながり」が豊かなままにキープされている地域)では、小・中学生の学力は押しなべて高い。それに対して、「持ち家率」が低く、「離婚率」や「不登校率」が高い地域(=「つながり」が大きくゆらいでいるように思われる地域)では、そうでない事態、すなわち学力格差の増大という事態が進行している。』と結論付けた。

 以上の論述は、学力の格差はつながりの格差により生じている、という考察である。今回のテーマである「親との関わり」とは関係ないように思えるかもしれないが、僕は無関係ではない、と考えている。

 「近年、家庭・地域の教育力の低下があると指摘されています——」という、もう今や使い古された感のあるフレーズ。このフレーズは、つまり「近年、家庭・地域につながり格差が生じている」ということを表しているのだと思う。

 では、なぜ家庭・地域につながり格差が生じてきたのだろうか? そこには社会の変化が大きく関係している。

 高度経済成長を果たし、全世帯にテレビや洗濯機等が行き渡るようになる。そうなると内需が飽和状態を迎えることとなる。そこで、内需拡大を目指し、経済政策が次々と行われた。テレビは家族で一台ではなく、一人に一台。自家用車は家族で一台ではなく、夫婦が一台ずつ持つ。こうして、あらゆる物が一人一台主義化していく。そして、携帯電話・スマートフォンはもちろん一人一台を持つ。

 社会が、「集団」をどんどん「個」に解体し、より多くの資本主義的利益を得ようと躍起になり、見事に「集団」は解体されていった。その結果、親たちはまさに、「個」ではなく「孤」となってしまった。

 そんな状況を憂い、昔のようなムラ社会のように「個」を「集団」に戻そう、といった言説が多くなった。だけど、もう昔の状況に戻れないと思う。そんな「昔はよかった」というノスタルジックな言説に説得力は感じられない。だって、一人ひとりが好き勝手に生活できるようになったのだから。知ってしまった後では、もう手離せない。

 だけど、親たちが「孤」になっている現在の状況も不十分であると考えている。なぜなら、人は一人で生きていけないからである。一人だけで人生の物語を描こうとすることは、もちろん困難なことである。自分だけの力で困難な時には、誰かに頼ればよい。物語を「I」(私)だけで描かず、「We」(私たち)で描けばよい。予測できない未来に立ち向かうためには、他者との協働―自分と他者との相互依存―が必要不可欠である、ということを肚の底から実感しないといけない、と僕は考えている。

 現在、教師や学校を苦しめている「モンスターペアレンツ」と呼ばれる親たちがいる。あまり、たくさん出会ったわけではないのだけど、僕の観察から、「モンスターペアレンツ」と呼ばれる親たちの共通点を見つけた。それは「孤立」していることだ。不安になって相談する人もいない、だからと言って夫婦でも話はまとまらない、ように見受けられる。そして、いろいろと溜まりに溜まって、一番吐き出しやすく、ちゃんと聞いてくれる教師や学校に爆発している、と僕は思えてならない。もちろん、教師や学校側に全く非がないことばかりではないのだけど。

 どの親だって、いや僕ら教師だって誰かのせいにしたい。人間同士が一番盛り上がる話題は、誰か共通の敵の悪口だって言うし。そういう彼らの欲を満たすところまで含めて教師の仕事なのかもしれない。どうしようもなく嫌気が差すけども…。でも、つながり格差が顕在化している現代において、教師や学校は、「泥を被るのも仕事の一つ」と思わないといけないな、と感じている。

 

二つのバイアス

 前節では、親が置かれている社会環境について、僕なりに考察してみた。本節から、もう少し具体的に親との関わりについて論じていく。

教師として親に何ができるだろうか? 今回のタイトルにもしているけど、「何もできないかな…」というのが、僕の考えだ。なぜなら、教師と親の間に二つのバイアスが存在するからだ。

 教師が親と話す時、主に子どもに関することの話をする。そこで、その親の子どもに何らかの課題があると教師が考えていると、親に何らかの要求をする。例えば、「宿題をして来ないので、見てやってください」「授業中、落ち着いて座っていられません、お家でも話してください」等。そして、教師は内心「親にも言ったのだから、もうこれで大丈夫だろう」と、思う。

 これで、何でも解決するなら本当にいいのだけど(笑)。そうは問屋が卸さない。課題のあると考えられる子どもの言動が改善されることばかりではない。そうなると、教師は内心「親にも言ったのに変わらない、あの親も問題だよな…」と、思う。思うだけならいいのだけど、口にしている姿も見ることがある。それがよくないとも思うが、悪くもないとも思う。職員室で一息つき、愚痴の一つや二つこぼすことができる方が健全な職場であると思う。だけど、言葉にしてしまうことには注意深くあるべきだとは思う。なぜなら、何でも責任転嫁してしまうようになってしまうかもしれないからだ。

 ここでは、教師の側に強いバイアスが存在している。「親は教師の言葉を受け入れ対応してくれる」というバイアスが。もちろん、教師の言葉を受け入れ、善処しようとする親もいる。だけど、全ての親がそういうふうに思ってくれていると思い込んでいるというのは、教師の思い上がりではないだろうか。あくまでも教育の対象は子どもであって、親ではない。その親は親なりの歴史を経て、今がある。大の大人である親を教師が変えようとは、甚だしい思い上がりというものだと思う。それに、僕たち教師は教職に就いているからこそ、自分の教育観や指導観を聞いてもらえる、ということも自覚しておかないといけない。個人の教育観などというものは、ふつうは居酒屋で学生時代から中の良い友達くらいにしか聞いてもらえないものだ(笑)。だから、自分が思うことや語ることを過度に一般化してしまっていないか、ということに自覚的でありたい。

 親が教師と話す時、主に子どもに関することの話をする。そこで、教師が自分の子どもに何らかの課題があると考えていると、何らかの要求をされることがある。例えば、「宿題をして来ないので、見てやってください」「授業中、落ち着いて座っていられません、お家でも話してください」等。そこで、親は内心「どうしてそんなこと言われないといけないの」と、思うだろう。また、僕のような若い教師からそのようなことを要求されると、さらに内心「こんな若者に何がわかるのか、子育てもしたことないでしょう」と、思うだろう。

 まあ、あくまでも、僕の想像だけどね(笑)。でも、こんなこと思うだろうな、と容易に想像できる。ここで反発した親は、自分の子どもにベクトルを向けるのではなく、教師や学校にベクトルを向けることになる。それが、酷くなれば「クレーム」になっていくだろう。反発せず、教師の話を受け入れ、また積極的に話を聞きに来てくれる親だって、もちろんいる。だけど、それは余程切羽詰っているか、教師という職業を信頼しているか、教師自身を好意的に見てくれているかのどれかだと思う。だから、親全員がそんなふうに思ってくれているとは、間違っても思わない。

 ここでは、親の側に強いバイアスが存在している。「子育てするのは親である私だ」というバイアスが。また、僕のような若い教師が相手だと別のバイアスも発生する。「子育てしたことがない」「男性でしょう、何がわかるの」というバイアスが。教師が話す親というのは、とりわけ母親が多い。だから、余計にバイアスが生じているかもしれない。

 「教師は子どもを育てるプロだから、子育ての経験は関係ない」「これからは男女平等」等と、ここで思うのは確かに間違っていない。間違っていないのだけど、そんな思いには括弧に括り、バイアスが存在しているかもしれない、とメタ認知する必要がある。

 教師と親が関わる時には、この二つのバイアスが存在している。もちろん、常にこの二つのバイアスが色濃くあるわけではない。発生するバイアスが片方だけ色濃い時もあれば、両方とも存在していないように感じる時もある。だけど、この二つのバイアスが全く無くなる、ということはないと思う。教師としては、自分から発生するバイアスは、せめて小さくする努力は必要になってくる。そうでもしないと、親に何か働きかけるなんてできやしないだろう。教師と親は、そもそも、立場の違いや抱えている思いにズレがある、ということは心に留めておきたい。

 

予防のアレコレ

 前節で、教師として親に「何もできないかな…」と、述べた。しかし、何もできないと考えているからといって、何もしない、というわけではない。「何もできないかな…」と思いながらも、何かしらの働きかけを親にしている。これが、巻頭論文でも述べられている、「予防」的アプローチである。

 虐待、いじめ、不登校等の問題では、「どうしたら解決できるか?」ということが主に話し合われる。これは、「治療」的アプローチである。もちろん、問題を解決するために、「治療」的アプローチを行うことは大切である。しかし、それは「予防」的アプローチをしているのが前提だと考える。「予防」していても零れ落ちてしまう所を、「治療」していくのである。「予防」的アプローチと「治療」的アプローチはセットになり、初めて効果的なものになる。

 前置きが少し長くなってしまったが、僕が行っている「予防」的アプローチのアレコレを以下にまとめてみる。

①適度な自己開示

 教師と親との関わりは、単純に言うと「人と人との関わり合い」です。そんな時、相手のことを全く知らないという状況では、お互いしんどい。まずは、教師から自己開示を行い、親の緊張感を解き、つながりをつくっていきたい。結婚しているか、子どもがいるか、というのは親にとって関心の高いことでもあるので、知らせておきたい。また、趣味や現在取り組んでいること等も開示しておきたい。ここで、気をつけたいことは自慢のようになっていないか、ということだ。「野球をしていて甲子園出場経験がある」ぐらいだと良いと思うが、「4番でエースだった」等は余計に感じられるかもしれない。

②コミュニケーションの機会を増やす

 親とコミュニケーションをとるという機会は決して多くない。だけど、コミュニケーションをとらないとなかなか親との関係も構築できない。だから、コミュニケーションの機会を意図的に増やしていっている。例えば、子どもが何か善いことをしたら電話で伝える、親が来校した時にこちらから話しかける等。特に苦手な親には積極的にコミュニケーションをとるようにする。何か問題があって初めてコミュニケーションをとる、ということだけはなるべく避けたいと考えている。

③学級通信

 親とのコミュニケーションの機会を多くする、ということにも限度がある。どの親にも同じぐらいの機会を設けるというのは難しい。このような状況で、教師が親と情報共有を行えるツールとして最も有効なものは、「学級通信」だと思う。学級通信で学校の様子や子どもたちの様子等を記述する。時には、写真もふんだんに載せる。そうすることで、親に学校の様子や子どもたちの様子等が伝わる。もちろん、学級通信を発行したからといって、全ての親に伝わるわけではない。通信は所詮通信、だという思いも持っておく必要がある。

 また、学級通信を多く発行する先生は、熱心な先生だと親から思われることが多い。学級通信を発行することは、自分が熱心な教師であることを保護者に宣伝する絶好の機会になる。

④テストの点数を上げようとする

 誤解を恐れずに言うと、親は子どもの学習の様子をテストの点数でしか見ていない。というか、それしか見えない。まあ、これが確かに見えやすい。授業参観という場もあるが、これは特別な授業であり、そんなに回数も多くない。そうであるなら、やはりテストの点数で見ようとするだろう。そこを考えず、「テストの点数なんて関係ない」と、思っていたら親からの信頼は得られないだろう。そして、特にテストに苦しんでいる子の親は、そこに向き合ってくれているか、ということに敏感である。テストの点数の変化やそこに向き合う教師の姿勢が、親とのつながりをつくっていくことになる。

⑤子どもとの関係をつくる

 教師や学校のことについて、親はどのようにして理解していくだろうか? 自分の目で確かめるようとすると思うが、やはり機会が少ない。そう考えると、一番の情報源は子どもになる。子どもの話で全てを理解できるわけではないが、多くの親は子どもに教師や学校のことを聞く。

 そこで、子どもたちはどんな話をするだろうか? 教師や学校のことを悪く言われるより、良いように言ってもらう方が良いのはもちろんである。だったら、子どもとの関係をよいものにしていく努力が必要になる。「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」という言葉のように、親との関係をつくろうと思えば、まずはその子どもから関係をつくることが大切である、ということだ。

 以上が、現在僕が意図して行っている「予防」的アプローチのアレコレである。予防したからといって、もちろん全ての問題が無くなるわけではない。そういうところも理解しながら、親への働きかけも続けていきたい。

 

参考・引用文献

「つながり格差」が学力格差を生む

「つながり格差」が学力格差を生む

 
子どものありのままの姿を保護者とどうわかりあうか (特別支援教育ONEテーマブック)

子どものありのままの姿を保護者とどうわかりあうか (特別支援教育ONEテーマブック)

 
学級担任 これでいいのだ!

学級担任 これでいいのだ!

 
“荒れ”への「予防」と「治療」のコツ―学級づくりの基礎・基本 (Series教師のチカラ)

“荒れ”への「予防」と「治療」のコツ―学級づくりの基礎・基本 (Series教師のチカラ)

 
大学では教えてくれない 信頼される保護者対応

大学では教えてくれない 信頼される保護者対応