2011年4月から2015年3月まで、朝日新聞に連載された「論壇時評」に加筆して新書化されたものが本書である。
本のタイトルにもなっている「民主主義」を、主な論点としているものの、若者の就活、ヘイトスピーチ、特定秘密保護法、従軍慰安婦、表現の自由等の、様々な問題が取り上げられている。身近な問題から大きな問題まで扱っている。だけど、著者の「自分ごと」として考えさせるような書き口のおかげで、どの問題も自分の方に引き付けながら考え続けることができる。
その中で書かれているエピソードを一つ紹介したい。
2014年、台中間のサービス分野の市場開放を目指す「サービス貿易協定」の批准に向けた審議が行われていた。しかし、与党は一方的に審議を打ち切ったため、反発が広がった。そして、反対するデモが行われ、300名を超える学生のデモ参加者が立法院議場内に進入し、占拠した。占拠20日を過ぎ、学生たちの疲労が限界に達した頃、魅力的な妥協案が提示された。そこで、デモ運動のリーダーである林飛帆は、丸一日をかけ、デモに参加している学生一人ひとりの意見を聞きに回った。その後、妥協案を受け入れ、院内を清掃し、静かに学生たちは去って行った。
このエピソードから、著者は「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも『ありがとう』ということのできるシステム」だという考え方を教えられた、と語る。
多数派は、数で押し、少数意見を封殺する。それができるのが多数派なのであるが。そこで、少数派が、騒がないから意見を通すことができるということを忘れてはならない。一方、少数派は―「総理、総理、私の話も聞いて。」のように(笑)―、声高に「私たちの意見が蔑ろにされた。」と叫ぶ。手放しとは難しいが、最後には拍手を送れないのだろうか?
以上のことは、「美しすぎる」のであろうか? 僕らの「民主主義」はこんなものなのだろうか?
全く「優しさ」がない。「民主主義」はシステムだから「優しさ」などの感情を取り込む余地はないのだとも思うのだけど。
それでも、もっと深く、学校という場で、「優しい民主主義」を考えていきたい。「美しすぎる」と言われても、だ。
教育が「美しい」ものを語れない、見せられないことになると、教育は死んでしまうから。