新型コロナウイルスの影響で、プロ野球の開幕が延期となっている。無観客で開幕する方向で動いているようだが、一体どうなるのだろうか? 野球ファンとして、できることは今まで通り楽しみに開幕を待つだけである。
さて、シーズンオフ中に、二人の二軍監督の著書を読んだ。一人は、ヤクルトの高津臣吾。もう一人は、中日の小笠原道大。これは出版当時の肩書である。高津は、ヤクルトの一郡監督に。小笠原は、日本ハムの一軍ヘッドコーチ兼打撃コーチに。一軍ということで、これから目にすることが多くなるだろう。楽しみである。
著書の内容の話に移ろう。二人の二軍監督時代の話を読んでいると、二軍監督は教師に通じるものがあるな、と感じた。
まず、高津の著書から引用してみる。
二軍は、試合の勝敗も大切だが、指導者としては選手たちの限界を広げてあげる場所だと僕は考えている。
だから、誤解を恐れずにいえば、育てるためなら試合では負けてもいい。
「二軍監督という仕事」に必要な資質があるかどうかは分からないけれど、「人が好きなこと」、それに「我慢強さ」が必要なのかなと思う。
次に、小笠原の著書から引用してみる。
大げさに聞こえるかもしれませんが、一軍で活躍できる選手を育成するということは、日本の野球界に励みを与え、すべてを幸せな方向に発展させることだと思っています。
学校という場は一軍の場ではない。学校の中での成功者を育成するために教育してるわけではない。もちろん、単純に出て行く社会が一軍ではないようにも思っているのだが。社会での成功者を、社会が求める人材を育成するわけではない。だけど、単純化するなら学校が二軍で、社会が一軍となるだろう。
だったら、学校では子どもたちの限界を広げられるように教育していきたい。そのためには、失敗したってよい。
そうすることが、これからの社会を支えていくことにつながる。そして、幸せな方向に発展させることにもつながるだろう。
そのためには、二軍監督である教師は、子どもたちを好きでいること、子どもたちの成長を我慢強く待てることが必要になる。
このように考えられるのではないか。二軍監督の仕事と重なるところが多くあるように感じた。だから、野球好きの人だけでなく、誰かを指導する立場の人にとっては多くの示唆を与えてくれるものになっている。
さらに、野球から考える教育論というのもおもしろいのではないか、とさえ思った。野球界から学んだことを教育界に援用して論をつくるということも考えていきたい。その時は記事にしたいと思います。