小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

プロレスは社会の写し鏡であるべきだと思うし、つねに社会に適応していくのが興行じゃないかな。

プロレスは社会の写し鏡であるべきだと思うし、つねに社会に適応していくのが興行じゃないかな。(by蝶野正洋)

 

 新型コロナウイルスが猛威を奮っている。そんな中なので、多くのイベントが自粛されている。プロレスも例外ではない。そんな中、無観客で行ったり、YouTube等で試合動画を公開する等、いろいろと工夫されている。なかなか出口が見えないが、今は収束に向け、それぞれが取り組みたいところである。

 ここ数年でプロレス熱が再び高まっている。それはプロレスファンとしては嬉しい限りである。でも、このプロレス熱の高まりは、勝手に起こったわけではない。プロレスラーやそれぞれの団体の努力の賜物である。SNSでの発信やメディアへの露出、きらびやかな演出、多彩なグッズ等々。

 まあ、プロレスファンの先輩としては、是非とも歴史を知ってほしいな、と感じているところでもある。好きなレスラーや団体だけでもいいから。そうすると、さらにプロレスの楽しみが増す。歴史を学ぶことをお勧めしたい。

 話が大きく逸れたので、戻ろう。
 プロレス熱が高まるように努力が重ねられたことを述べた。それらは、プロレス(プロレスラー)が社会に適応し受け入れられるようにしていった、とも言い換えることができる。
 さて、学校はどうだろうか? 学校の風景は昔と比べても大きく変わっていないのではないだろうか。それは、不易の部分が大きいから、とも考えられる。だけど、それだけではないだろう。今、このような状況で学校に集まることができない。そこで、「オンラインを使い、授業等を実施すればいいじゃないか」という声があがる。でも、多くの学校はそれに対応できない(もちろん、すべきかを検討することは必要である)。というより、検討すらできていない所も多い。完全に思考停止状態。立ち尽くしている状態になっている。これではよくない。
 今、このような状況は、学校が変化していかないといけないというメッセージを改めて伝えてくれているのではないだろうか。全てを変える必要はないが、社会の状況に合った教育を構築していく姿勢はつくっていかないといけないだろう。もし、そうするならば、プロレス界が取り組んできたことは参考になるはずだ。僕たち教師は思考停止に陥り、立ち尽くすことから脱却しなければいけない。
 このような思いを、蝶野正洋の言葉から考えた。やはり、プロレス(プロレスラー)は、僕たちの背中を押してくれるのである。