少し前に障害者理解、もっと言うと他者理解のキーワードは「想像力」ではないか、ということを記事にした。
kyousituchallenge.hatenablog.jp
そこでキーワードとして提示した「想像力」について考えてみている。
そうしていると、学校教育の教科において想像力を育むことが目標になっていることに気づいた。
その教科が国語科である。今さら気づいたのか、と言われると弁明はできません・・・。
教科の目標は,次のとおりである。
言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。
「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 国語編」より引用(太字は加筆)
国語科で育てる想像力というのはどのようなものだろうか。国語科で想像力を育てる授業の具体はどのようなものだろうか。そんな新たな問いが生まれてきている。
また、想像力の似ている言葉や関連がありそうな言葉を考えてみている。
「察する」「推察する」「推し量る」「イマジネーション」「思いやり」等々。僕がここで考えている想像力は、他者へと向ける想像力が主なのでこのような言葉を思い浮かべている。
しかし、なかなか答えが出ないというか、堂々巡りというか、沼に入りつつあるように感じている。
だからと言って、考えを止めたくはない。ゆっくり考え続けることにしようか。