職員室にいる時、いる時に限らず、隣にいる相担の先生と話している。大した話じゃないことから、もちろん重要な話まで。
この雑談。無駄と思えば、確かに無駄である。だけど、一緒に仕事を、それを有意義なものにしようと思えば、膨大な雑談が必要だと思う。
何も知らない、何も自己開示しない状態で仕事はできない。できないというのは言い過ぎだけど。
だから、膨大な雑談をする。
こう考えていると、子どもたちだってこの膨大な雑談が必要だろう。授業での話し合いだけではなく、もう少し楽な状態での雑談が。
つまり、教師として膨大な雑談が生まれるような仕組みをつくるということは大切なのではないか、ということ。
こう考えることで、雑談に興じている自分を肯定しておこう(笑)。