出版されたときから気になっていた一冊。手に取ろうか迷っていたときに、出版記念セミナーに参加した。そこで執筆者の方々の話を聞いた。それを聞いて読んでみよう、と思い手に取った。
読んでみて思ったことは、迷っていたけど手に取ってよかったということ。僕にとってはさまざまなことを考えるきっかけを与えてくれる一冊であった。
そんな読みながら考えたことを本の内容を紹介しながら書いていくことにする。
編著者である野口晃菜さんは、インクルーシブ教育について以下のように考えることの必要性を述べています。
確かに、障害のある人だけが差別をされるか、というと、そうではありません。外国にルーツのある人、性的マイノリティ、貧困状態にある人など・・・・・・差別を受けているマイノリティ属性は日本にもたくさんいます。障害以外のマイノリティ属性の子どもの教育を受ける権利を保障するためには、特別支援教育や障害児教育の枠組みのみではなく、通常の教育の枠組み自体をインクルーシブにしていくための議論が欠かせません。
確かに、インクルーシブ教育と言うと、障害のある人への教育(特別支援教育)の文脈で考えがちである。しかし、それだけでなく貧困やジェンダー、いじめ等の多くの人権課題、マイノリティを含めた文脈で考える必要がある。そのことに気づくことができた。
もちろん、これまでの特別支援教育の実践は大切にしたい。しかし、そこだけで考えていては狭いものになってしまう。だからこそ、他の人権課題にもアプローチしていく必要があるだろう。
また、NPO法人インフォメーションギャップバスター理事長の伊藤芳浩さんは「特権性」ということに言及されている。
特権のある人の観点は、すべての人に等しく機会を与えるといった「平等さ」であるのに対し、特権のない人の観点は、すべての人が等しく機会を与えられるだけでなく、価値を受け取ることができるといった「公平さ」にあります。両者の観点がずれていることが、配慮は特別扱いであるといった意識のずれが生じる原因となっています。
特権のある人が自分の特権に気づくこと、そして特権のない人への配慮が優遇ではなく、是正措置だと正しく理解することから、真のインクルージョンの実現は始まると考えます。
誤解を恐れずに言えば、教師は学校内における特権がある人であろう。もちろん、教師だって一人ひとり異なるので括ってはいけないように思うが、ここは言い切ってもいいのではないか、と思う。
そう考えるなら、教師である僕は僕が意識せずとも持ってしまっている特権性や特権意識を自覚することから始めないといけないだろう。つまり、教師である僕は意図せずとも差別を生みだしてしまったり、助長していることが起こっているかもしれないということ。
これに直面するというか正視するのはしんどいことではある。しかし、ここからがやっと始まりに立つ準備なのだから、しんどいからと言って避けていてはいけないだろう。
他にも行くつかるがこの辺にしておこう。
章ごとに設けられているリフレクションワークがあり、それ一つひとつに答えを記入してみた。さらに、章ごとに参考文献が示されており、ここから学びを深めていくことができるようになっている。
僕にとってはインクルーシブについて考えるきっかけになる一冊であり、これからも大切にしていきたい一冊となった。