小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

ゆとりですがなにか

今週のお題「もう一度見たいドラマ」

 

 もう一度見たいドラマは、2016年に放送されていた「ゆとりですがなにか」だ(日本テレビ)。このドラマを見ることにより、自分のゆとり世代マインド?  なるものが呼び起こされた。そのことが、最近ブログの連載記事としている「ゆとり世代教育論」につながった。僕としては思い入れ深い作品である。

 キャストはなかなかの顔ぶれである。主演が岡田将生メインキャストとして、先日結婚を発表された松坂桃李柳楽優弥が名を連ねる。そして、脇を安藤サクラ吉田鋼太郎ブレイク前の吉岡里帆、仲野太賀が固める。そして、忘れてはならない脚本家は大河ドラマまで手掛ける宮藤官九郎よくこれだけの方々が揃えたな、と思うような布陣である。
 ドラマのタイトルになっている「ゆとりですがなにか」という言葉は、まさしく僕たちゆとり世代が一番吐きたい言葉である。そうは思いつつも「ゆとりですがなにか」という言葉で逃げ道を作っているようにも感じている。僕としてはそのような思いを抱いていた。
 そんな思いに応えてくれるように、脚本を手掛けた宮藤官九郎は以下のように語っている。

彼らの口から出る「ゆとりなんで」と俺の発する「最近の若い奴らって」、実は同義語なんじゃないか。世代間の思考停止を招く呪いの言葉なんじゃないか。考えるのを諦めず、ひたすら掘り下げたら何か見つかるんじゃないか。

  ゆとり世代である、僕たちもこの呪いの言葉を吐いていた。でも、これは思考停止に陥る呪いの言葉である。それをどこかで止めないといけない。そして、考えるのを諦めず、掘り下げてみると何かが見つかるのではないだろうか。

 宮藤官九郎は、その何かを見つけたのかもしれない。僕にはそう思えるような台詞を見つけたので紹介する。

子供は、親を選べないし名前も選べない。だから産んでくれた親や、名前をつけて呼んでくれた家族を信じて、ついて行くしかないんですよね。ゆとり世代もそう。作って名前つけたのは大人なんだから、ちゃんと面倒見るべき、ですよね。そして今度はウチらが社会を作る番、子供を産んで名前をつける番…ですよね

  この言葉は島崎遥香が演じるゆとりが柳楽優弥が演じるまりぶに宛てた手紙の一節である。ゆとり世代として、心ない言葉を投げかけてくる大人への恨み節である。そこに注目するのではなく、最後の一文こそが、宮藤官九郎の見つけたものを表している言葉ではないだろうか。ゆとり世代と呼ばれたゆとり世代が今度は社会をつくる番である。だからこそ、思考停止に陥らず社会をつくる側になっていくことが大切になる。そんなことが伝わってくる台詞である。

 こんな記事を書いていると、本当にもう一度見たくなってきた。まだ見たことのない方は是非ともこの機会に見てみてください。

ゆとりですがなにか

ゆとりですがなにか