小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

「普通」が見えなくさせるもの

 「自分の普通は普通じゃなかったのだね…」という、不満というか戸惑いのような声が漏れ聞こえてきた。

 直接言われたわけではないので、その言葉に応えたわけではない。だけど、応えるとすれば、「まあ、そうですね」と言うだろう。そう言っちゃったら、油に日を注ぐような結果になりそうだけども。
 その人が言う「普通」って何だろうか?
 ここでの「普通」というのは「一般的である」という意味合いではない。ここでは「自分の考えや経験」という意味合いを持っているだろう。そう考えると、冒頭の言葉も理解できる。
 だったら、やはり「まあ、そうですね」と言うことになる。だって、一人ひとり「考えや経験」は異なるから。一人ひとりが「普通」を持っていることになる。
 だけど、「普通」という言葉を用いることで、上記のような思考は見えなくなってしまってしまう。「普通」という言葉の裏に隠れてしまう。
 だから、「普通」という便利な言葉を使い、終わるのではなく、一人ひとりの「考えや経験は違う」と話してほしい。そうすると、「それは、そうだよね」と確かめ合い、さらに一人ひとりの「考えや経験」を擦り合わせる作業に進むことができる。
 まあ、ここまでしようという気概もなければ、時間もないというのが本当のところなのかもしれないが。
 だけど、「過度な一般化」に陥っていないか、という目線は持ち合わせとかないといけない。そう強く思えるようなきっかけとなったことは確かだ。