小さな教室からの挑戦

小さな教室でのささやかな挑戦を書き綴ります。

関わることで失われるもの

 毎度おなじみの? 初任の先生からお悩み相談があった。「気になる子への周りからの眼差しが気になる」とのこと。「例えばどんなあたりが?」と聞き返してみる。そうすると、「その子が勉強できないみたいに見られているように思うんです」とのこと。

 ということで、T2として授業に入ってみることにした。その子はその子なりに授業に参加している。指示を聞き、行動することができている。もちろん、初任の先生もその子を含めた子どもたちがわかりやすいように、と考えながら授業を行っていた。
 そして、その授業で一番考えさせたいであろう場面に入る。初任の先生は、発問を行い、ノートに自分の考えを書くように指示した。その気になる子を含めた子どもたちが作業に取りかかった。初任の先生は、そこからもちゃんと考えていた。きっちり机間巡視を始めた。真っ先にその気になる子の所へ行く。まあ、悪くない。しかし、その後の行動に、周りからの眼差しが気になる原因があるように感じた。
 初任の先生は、その気になる子がわかるように、ずっと付きっきりになっていた。本当に長い時間。その間に周りの子たちは作業を終えていく。そこも指導されているようで、決して騒ぎにはならない。次の指示までそれなりに静かにして過ごしていた。その気になる子への指導が一区切りついた後、一周全体を巡視し、その活動を終えた。
 その日の放課後に簡単ではあるが、僕の感じたことを伝えた。「丁寧に指導・支援されているとは感じた。だけど、気になる子への指導が長過ぎないかな。別に指導することは悪いことではない。だけど、その子にべったりが毎回なら見直した方がいいんじゃないかな? 
 その子にべったりになることで二つの弊害が生じているように思う。一つ目は、周りの子への視線が減ること。どの子だって先生に見られたいという思いは持っているよ。それに応えられないようになってしまう。二つ目は、周りの子との関わりを遮ること。先生がべったり付いていると、周りの子はその子に関わりにくいよね。関わりたくないというわけではないのだけど、先生任せになってしまう。僕は授業を見ながらそう感じたよ」と。
 代案として、先生だけが指導・支援するのではなく多くの子が関り合って学習を進められるようにしたらどうかな、と提案してみた。
 気になる子に教師が関わりすぎることの弊害というのも考えてながら、より良い指導・支援を考えていくことの必要性を改めて感じた。